クリシュナムルティ 

わたしが尊敬する人は,3人くらいしかいません.その中のひとりがクリシュナムルティです.

クリシュムルティについて語るにはブラブァツキー夫人と神智学会について語らなければなりません。

ブラブァツキー夫人についてはWikipediaに詳しく書かれていますので簡単に解説します.

ブラブァツキー夫人https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ad/Helena_Petrovna_Blavatsky.jpgは,ウクライナで生まれ,将軍の妻となりましたが,すぐに離婚しています.霊媒として有名になりました.世界中の宗教の一部を取り込み継ぎ接ぎして,宗教ではなく真理を探求する学問を教えるという神智学会を設立しました.いろいろと胡散臭いところのある人です.神智学会は,真理を人々に教え,教化し,純化し,自由にすることを目的としていました.そのなかで,ブラブァツキー夫人の神秘主義,オカルト主義が中心となっていました.世界を指導する「世界教師」の誕生をうたっていました.

 

1909年に14歳のクリシュナムルティが,「世界教師」となる人(ロード・マイトラーヤ)であると判定され,神智学会に育てられることになりました.このとき,神智学会にはルドルフ・シュタイナー(知っている人はしっている,シュタイナー教育の開祖)がいましたが,クリシュナムルティがロード・マイトラーヤになったので,1912年に神智学会を離脱して,人智学会を作ったという話もあります(確認できず).
1911年にクリシュナムルティを守り育てる団体として「東方の星の教団」が作られました.クリシュナムルティは,イギリスへ留学し,将来東方の星の教団の指導者となり,世界教師となるとされました.
イギリスで教育を受けたクリシュナムルティは,優秀な学生ではなかったと言われています.教えられることを覚えるのではなく,自らが観察し考えることを好んだのです.

1929年,オランダのオーメンで教団恒例のサマーキャンプが開催されました.クリシュナムルティが指導者https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Jiddu_Krishnamurti_01.jpgとして教団に戻ることになっていました.世界教師として,信徒を指導してくれることが期待されていました.信徒にとって,18年間準備して,待ち望んでいたときです.3000人の信徒を前にしてクリシュナムルティは話し始めました.


Truth is pathless land
真理とは,そこに至る道のない土地

今朝はこの教団の解散についてお話します.喜ぶ人は多いでしょうが,悲しむ人もいるでしょう. しかし,わたしはあなた達が喜ぶか悲しむかを気にしてはいません.なぜならば,教団の解散は避けられないからです.ご説明しましょう.

私が以前お話した,悪魔とその友人の話を覚えているでしょう.

「あるとき,悪魔とその友人が通りを歩いていました.すると,前を歩いていた人がしゃがんで,何かを拾いポケットに入れました.友人は悪魔に言いました.『 あの男は何を拾ったのだろう』.悪魔は言いました.『真理のひとかけらを拾ったのさ』『そりゃ,君にとって困ったことになったね』悪魔は答えました.『ぜーんぜん.おれはあいつを言いくるめて,それを広めようとする団体と組織をつくらせるからね』」

わたしはいつも言っています.「真理とは,そこへ至る道のない土地である.どんな宗教も,どんな教派も,真理に至る道たりえない」

これがわたしの真理についての考え方です.私はこの考え方を絶対に曲げません.どんな条件をつけられても曲げません.

真理には限界がなく,条件づきの真理というものはありません.真理には到達できる確定した方法はありません.真理を体系化することはできません.ですから,特定の方法によってあなた達を真理に誘導しようとしたり,真理に至ることを強要しようとしたりする団体を組織するべきではありません.

今言ったことがわかれば,真理を探求しようとするどんな信仰であれ,その信仰自体を崇め奉るような団体を組織することなど不可能だとわかるでしょう.

一人ひとり信じていることは違います.純粋に個人的なことです.そのような,個人的に信じていることを団体として信仰する組織を作ることは不可能ですし,やってはならないことです.

そんなことをすれば,その信じていることは不自由なものになってしまい,死んでしまいます.そうして,教義,宗派,宗教を作り,他の人に押し付けられるようになります.しかし,世界中の人々が,自分の信じていることを他の人々に押し付けようとしています.

その結果,真理は狭苦しいものにされ,弱い人,不満を持っている人を慰めるだけのものになっています.
真理とは自分のところにひっばり寄せるものではなく,自分が登っていき到達するところです.山の頂きを谷に引きおろすことはできません.山の頂きにたどり着くには,谷を超え,危険を覚悟して絶壁を登らなければなりません.

このこと,つまり真理の探求について個人的に信じていることを団体として組織化することはできないということがこの教団を解散する第一の理由です.

それでも,あなた達の中には他の団体を作ろうとする人がいるでしょう.真理を探求するという他の団体に入る人もいるでしょう.

私自身は,スピリチュアルを名乗るどんな団体にも属したくありません.ここを理解してください.

繰り返します.どんな団体も人をスピリチュアリティに導くことはできません.

スピリチュアリティに導こうとする団体が作られれば,弱っている人や困っている人を助ける松葉杖になったように見せておきながら、実は弱点を大きくし,更に弱いものにさせ,人を駄目にしていきます.人は絶対的で無条件の真理を自分で見つけ出し,成長し,ユニークな存在となれるのに、団体や組織はそれを阻止します.

わたしはたまたまこの教団の指導者になりました。そのわたしが解散をきめたもうひとつの理由がここにあります.団体は弱い人々をさらに弱くさせるのです.この決定を誰も覆すことはできません.

わたしは誰かについてきてもらおうと思いませんから,これはそんなに大きなことではありません.本当に.

あなたが誰かにつき従うと決めた瞬間に,自分自身での真理の探求をやめてしまいます.わたしの言葉に注意が払われるか否かを私は気にしていません.わたしは世界中で、あることをしたいと思っています.揺らぐことのない集中力で,そうします.

私のやりたいあることとは,「人を自由にする」ことです.わたしは人が,新しい宗教,宗派を求めることなく,新しい理論や新しい哲学を作ることなく,すべての檻,すべての怖れから人を開放したいのです.

私が世界中いたるところに行き,話し続けているのはなぜかと思うでしょう.わたしは,わたしに従う人をほしいのではありません.特別な教義の特別なグループを望んでいるのでもありません.(人は,どんなちっぽけでバカバカしくて理屈に合わない事でも,仲間とはどこかが違うことを望みますが,わたしはそんな馬鹿げたことはおすすめしません!)

俗世であれスピリチュアリティの世界であれ弟子も使徒もわたしはほしくありません.私を魅了するのは,お金でも快適な生活でもありません.快適な生活を望むなら,ここのようなキャンプ地に来たり湿気の多いジメジメしたところに住むことはないでしょう.
いっぺんですべてを解決したいので,率直にお話しています.わたしはこんな子供っぽい話を毎年繰り返したくはないのです.

ある新聞記者が私に言いました.数千人もの信徒のいる教団を解散するというのは大変なことだと思っていたようです.彼にとっては本当に大変なことに見えたのでしょう.彼は言いました「これからどうするのですか?どのように生きていきますか?ついてくる人もいなくなり,あなたの言葉を聞く人もいなくなるのに」

ずーっと私のことを見てくれていて,わたしの言葉を聞いてくれる,生きている人が5人いれば十分です.逆に,なんにも理解せず,先入観に満ち溢れていて,新しいものは望まず,自分の今まで持っている偏見に合うように,新しいものを説明してくれることを望む,そんな人が数千人ついてきてもなんにもなりません.

私が厳しいことを言うときに,思いやりがないと思わないでください.あなたが手術を受ける時に,外科医が痛いことをしたからといって,優しくないと言いますか?(現代なら.言う 訳者注) 同じことなのです.わたしがストレートに話すときは,あなたを好きでないからではありません.全く逆です.

いつも話しているように,私にはたった一つの目的しかありません.人を自由にすること,人が自由になれるように励ますこと,人が限界を打ち破るのを手伝うこと,そうして,その人がずーっと幸せになること,なんの条件をつけることなくやりたいことをできる自分になることです.

私は自由で,なんの条件付けもなく,全体として生きていますし,周りに左右されません.永久なる真理そのものです.私がほしいのは,私が自由であることを理解できる人です.私に従う人ではありません.私を利用して他の人々を囲い込む檻,宗教,宗派を作り出そうとはしない人です.そんな檻などにとらわれずに、宗教,救い,スピリチュアリティ,愛,死,人生そのものというすべてのものへの怖れから解放された人です.

画家は絵を書きます.それが喜びだからです.それは,画家の自己表現であり,輝きであり,幸福だからです.私のしていることも同じです.他の人から何かを求めているのではありません.

あなた達は,自分をスピリチュアリティに導いてくれるだろう権威、または権威の雰囲気になれています.あなた達は,誰か権威ある人が類(たぐい)まれなる奇跡的なパワーで自分を幸福という永遠なる自由の世界に連れて行ってくれると思い,そのように望んでいます.あなた達の人生についての考えは,そのような権威に基づいています.

あなた達は,三年間もわたしの同じ話を聞いています.それなのに、ほんの僅かな変化を除いてはなんにも変わっていません。わたしの言ったことを,今,批評家のようになってよく読み,よく考えてください.そうすれば,根本から完全にわかってくるかもしれません.

あなたがスピリチュアリティに導いてくれる権威を求めているとき,自然とその権威を取り巻くような団体を組織していきます.その権威があなたをスピリチュアリティに導いてくれるのに役立つだろう団体を組織すること,まさにその事があなた自身を檻の中に閉じ込めます.
率直に言いましょう.わたしが率直に言うのは、自分の目的に執着しているからでもなく,厳しいからではなく,狂っているからでもなく,単にわたしの言うことをわかってほしいからだということを思い出してください.率直に言うこと,それがわたしがここにいる理由です.もしわたしがはっきりとわたしの意見を示さなければ,時間の無駄になるでしょう.

18年の間,あなた達は今日ここで行われる世界教師の誕生の行事の準備をしてきました.18年の間,団体を組織し,誰かがあなた達の心に光をもたらし,あなた達の人生を一変させ,新たな気づきを与えることを待っていました.あなた達を新たな段階に導き,励まし,自由にしてくれる人を待っていました.

さあ,今起きていることを見なさい!

自分で,その理由を考えてご覧なさい.そして,そんな信仰で,自分がどんなふうに変わってしまったかに気づきなさい.ちっぽけで馬鹿げたバッジを付けているという上っ面の変化ではなく,もっと深いところで変わってしまったことに気づきなさい.そんな信仰が,人生には必要のないつまらないことを一掃してくれたでしょうか?

どうすればもっと自由に,もっと大きくなれるのか、どうすれば偽物と無駄なものの上にできたすべての社会に対して危険な存在となれるのかを判定する唯一の方法は,自分で見て考えることです.

星の教団のメンバーは,どのように変わったのでしょう?

あなた達は18年間準備してきました.あなた達が私を世界教師と認めているか否かは気にしていません.そんなことは大したことではありません.あなた達は星の教団に属しているので,今まで「クリシュナムルティは世界教師だ」という考えを認め,同意し,それにエネルギーを注いできました.本当に真理を探求する人は[全くそうだな」と思っていますし、自分自身の中途半端な真理で満足している人は「まぁ、ある程度そうだな」と思っています.

あなた達は18年間準備してきました.自分自身をよく見つめなさい.自分が多くの些末なことにとらわれて,物事を複雑に難しく考えていることを見つめなさい.先入観,怖れ,権威,教団.新しいかろうが古かろうが、これらすべてがあなたが物事を理解するのを邪魔しています.これ以上はっきりしていることはないでしょう.

わたしの意見に賛成してもらおうとは思いません.私に従えとも思いません.ただ,わたしの言っていることを理解してほしいのです.
あなた達は物事そのものを直視しようとしません.そのため,あなた達の持つ信仰はあなた達自身を変えることはなく,単に混乱に導いています.だから,わたしの言っていることを理解しなければなりません.

あなた達は古い神の代わりに新しい神,古い宗教の代わりに新しい宗教を,古い様式の代わりに新しい様式を、古いスピリチュアルの代わりに新しいスピリチュアルを,古い礼拝のやり方の代わりに新しいやりかたを求めます.つまり、新しいゴミ,邪魔者,限界,弱者をさらに弱くする松葉杖を求めます.

あなた達は他の人が自分のスピリチュアリティを高めてくれることを求めています.他の人が自分を幸福にしてくれることを求めています.他の人が自分を啓蒙してくれることを求めています.

あなた達は18年間も準備してきました.私があなた達を指導するのを待ち望んでいたのです.それなのに,待ち望まれていたわたしが,今,ここで「こんなことはすべて必要ない,すべて捨て去りなさい,啓蒙,栄光,純化,自己の確立のために自分自身を見つめなさい」と言っているのに,一人もそうしようとしません.

少しはわたしの言うことを聞き入れようとする人がいるかも知れません.でも,ほんのわずかの人々です.多くの人は聞き入れません.なぜ,こんな団体を組織しようとするのですか?

ここに集まったこんな愚かな偽善的な人たちが,どうして真理を体現できるというのでしょう.

わたしはひどいことまたは意地悪なことを言っているわけではありません.単に,私達が今ある姿を直視する時が来ただけです.

昨年私はもう妥協しないと言いました.そのとき,わたしの話を聞いていたのはほんの僅かの人でした.今年ははっきり言います.

あなた達は18年間準備してきました.世界中にいるこの教団の何千人の信徒が関わってきました.しかし,その何千の人々はわたしの話していることをまるごと,無条件に聞き入れるということをしたがりません.

前に話したように,わたしのやりたいことは,人をなんの条件もつけずに自由にすることです.スピリチュアリティのみが,永遠の自己の朽ちることのない部分であり,理(ことわり)と愛の間で奏でられる調和なのです.これは絶対的で条件なしの真理であり,人生そのものです.

わたしは人を自由にしたいのです.大空を飛ぶ鳥のように人生を楽しみ,重荷を背負い込まず,自立して自由を満喫できるようにしたいのです.

そして,18年間準備してきた人々に言います.あなた達はこんなことから自由になり,自分自身の作っているゴタゴタやグチャグチャから解き放たれなければなりません.このためには,スビリチュアルな信仰に基づく団体や組織は全く必要ありません.

世界中の人々の中で5人から10人の人だけが,世界を理解し,社会のバカバカしさと些末なことから解脱しているでしょう.それなのに,なぜ,そんな人々がそんな団体を組織するのでしょう?
弱い人々のために,真理を見つけて彼らを救う組織なんてものはありえません.真理とは,すべての人にとって,遠くでも近くでもなく,まさにその人の中にあるのです.永遠にその人の中にあるです.団体や組織があなたを自由にしてくれることなどありません.あなた以外の人が,あなたを自由にしてくれることはありません.大勢で礼拝することも,大義に身を捧げることも,あなたを自由にてくれることはありません.団体や組織の一員になることも,教団の仕事に貢献することも,あなたを自由にはしてはくれません.

あなたは手紙を書くのにタイプライターを使うでしょう.しかし,そのタイプライターを祭壇に乗せて崇めたりはしないでしょう.しかし,団体や組織ということばかりに心を占められると,タイプライターを崇めるようなことをしてしまうのです.

「信者は何人ですか」すべての新聞記者が最初にする質問です.「あなたに従っている人は何人ですか? その数で,あなたの言っていることの真偽を判定させてもらいます」

何人いるかなんて,わたしの関心事ではありせん.今まで言ったように,自由になった人が一人いるだけで十分です.

もう一度言います.あなた達はある特定の人だけが,幸福の王国へ入る鍵を持っていると思っています.誰もそんな鍵を持っいません.誰もそんな鍵を持つ資格を持っていません.その鍵はあなた自身なのです.永遠の王国とは,あなた自身が成長し,純化し,自分自身を朽ちることのないものとした時に自分の中にできるのです.

さて,これであなた達が作ってきた団体や組織が,いかにバカげたものかがわかったでしょう.永遠の救いを求め,他人に頼ることで安楽になろうとし,幸福になろうとし,強くなろうとしてきたこと,すべてがバカげたものなのです.救いも安楽も幸福も強さもすべて自分の中にあるのです.

あなたは自分がどのくらい進歩したか,自分のスピリチュアリティがどのレベルになったかということを,他の人から言われることに慣れてしまっています.なんと子供っぽいことでしょう! あなた以外の誰が,あなたの内面が美しいか醜いかを判定できるのでしょうか?あなた以外の誰が,あなたが朽ちることがないほど強いと言えるのでしょうか?あなた達は,これらのことに真面目に捉えていません.

しかし,本当に世界を理解しようとする人々,永遠なるものを探す人々,,始まりも終わりもないものを求める人々は,更に大きな熱情を持って進むでしょう.このような人びとは社会の中の必要のないもの,非現実的なもの,影法師にすぎないもの,すべてにとって驚異となるでしょう.
そのような人々は世界を理解しているので,全力を集中し,炎となるでしょう.そんな幹となるものを私達は創造しなければなりません.それがわたしの目的です.その世界についての本当の理解があれば,真の友情ができるでしょう.あなた達が今まで見たことも体験したこともないであろう,その真の友情によって,お互いの立場に基づく本物の協力ができるようになるでしょう.権威に頼ることなく,救いに頼ることなく,大義のために犠牲となることなく,ただあなたが本当に理解できたとき,永遠に生きることができるようになります.これは,すべての宗教上の喜びや犠牲よりも偉大なものです.

2年間に及ぶこのような熟考の末,私はこの教団を解散すると決断しました.これは単なる思いつきではありません.誰かから説得されたのでもありません.私はこんなことを他の人に言われて従うような人間ではありません.

わたしは2年間,このことをゆっくりと注意深く辛抱強く考え続けてきました.そして,たまたま私がこの教団の長となったので,わたしが教団を解散すると決定しました.

あなた達は新しい教団を作り,私以外の人を待ち望むかもしれません.そのようにして,自分達を束縛する新しい檻を作り,その檻を飾り立てても,それはわたしの預かり知らぬことです.

わたしのたった一つののぞみは,人を完全に無条件に自由にすることなのです.


クリシュナムルティは神秘主義やオカルトに満ちた神智学会に見出され、育てられました。しかし、自らの感覚で世界を捉え、熟考したとき、それらの教義が「自由」を奪うことを悟りました。

そうして、クリシュナムルティは数千人の信者を捨て、一人で世界中の人々を相手に話していくことにしたのです。

クリシュナムルティの真理に至る道は、瞑想でした。瞑想とは神秘的なものではなく、単に自分の感じていることを素直に受け取り、それをもとに自分と自分を包む世界を理解することです。

そのようにして理解された世界は現実であり、真理なのです。そして、このような真理の探求は、各人の感覚で捉えられるので、個人的なことであり、団体として組織化することはできないのです。まともでしょ。

真理の探求が個人的なものであれば、宗教や宗派は個人の自由を奪うものです。ですから、自らの支持母体である教団を解散したのです。

現代でも真理の探求を好みます。そして、いろいろなものが指導されます。それらの多くが組織化され、階級を与えられます。わたしは愚かだと思います。

大切なのは自分です。自分の感覚と自分の脳で自分の信じられる世界観をつくり、常にフィードバックを受け入れる態度がまともな人間の生き方です。