哲学 = 科学+ 心理学 —-> ・・・

哲学は科学と心理学からできています。
哲学はphilosophyです。philo(好む)+sohia(上質な知)からできています。
ギリシア時代に、いろんなものを観察して記憶、記録して、分類して実際的な知識を得た人々がいました。
生活に役立つ実際的な知は役立つツールでした。そして、高価な商品でした。だから、金持ちは哲学者を雇ったのです。
そのようにして上質な知を持つ哲学者その人が尊敬されるようになりました。持っている実際的な知は、たぶん永続的なものだったでしょう。しかし、哲学者が実際的なことから発見した抽象的なことを語るとき、推論が入ります。この推論が現実的である保証はありません。その時代の文化、政治、宗教に左右されます。
哲学者と言うだけで尊敬され信用されている人々は、その時代という環境に適合した人々です。今も適合するかはわかりません。
アリストテレスは、哲学者でした。たくさんの自然物を観察し、記録しました。そして、自然物以外のものについて考察しました。抽象的なこともね、当時の科学では観察できないことについてもね。
アリストテレスはたくさんの上質な知と考察を書き残しました。彼自身はそれらを整理して分類しませんでした。
後世の人が、アリストテレスの著作を分類し並べました。はじめは自然界について実際のものについて書いた著作を並べました。これをphysicsと呼びました。現在physicsは物理学と呼ばれます。そのあとに考察や抽象的なものを並べました。physicsのあとですから、metaphysicsと呼ばれました。meta-とは「…の後に」という意味の接頭辞です。
 metaphysicsとは単に並べた順番を示しています。アリストテレスが名付けたものではありません。
 江戸時代から明治時代へ入ると、外国語が入ってきました。哲学なくてなかった日本にphilosophyが入ってきました。「好上智」では女子大好きのおじさんに思われるかもしれません。哲学と名付けられました。
metaphysicsは「後物理学」ではかっこ悪いので、「(自然における)形に而(しこう)して上にあるものについての学問」という意味で形而上学(けいじじょうかく)と翻訳されました。
哲学がわからなくて勉強しようとすると形而上学が出てきて、この意味がわからず挫折します(高校生の私)。輸入した学問で翻訳が漢文調の訳語で理解し難いのです。
わかれば何のことはない。50年以上いきた人(昔は寿命が短い)が得た生活に役立つ知識と考察です。わたしでも語れる。それも現代に適するように話せます。
失敗した経営者、失敗した芸能人、失敗した科学者の体験談は哲学です。成功した人の体験談は、たまたまうまくいったという自慢話です。
上質な知をこのむ人々も自然界のものを好む人々と考察を好む人々に別れました。前者は科学者となり、後者は心理者となりました。
だから、バイクを壊したり直したりでっち上げたりする科学と、ライダーのバイクに乗る楽しさ、スピード感、その恐怖を体験し分析し語れる人は哲学者です。
 というわけで、あなたがツーリング好きのバイク屋さんに出会ったら、その人は哲学者です。
おなじことは他の職種でも言えます。
パンを食べることの好きなパン屋さん。
体のことを知っている杵蔵ネオのファシリテーター
自分の心をいつも探求している言語学者
自分の言葉に耳を傾け、行動を観察するあなた。
みんな哲学者です。