この方が転科してきたときは、重さの移動を感じることなく、両上肢で両膝を強く押して、「力」で立ち上がろうとあがいていました。

 この映像を撮影したときには、ずいぶん改善しているのですが、まだ、そのような行動の癖が残っているのです。



 この方は、「立ち上がろう」としています。

 そのために、お尻にかかっている重さを足にかけて立とうとします。

 ですから、体を前に傾けます。

 このときに、頭の後ろから首に緊張を作り、脊柱を固めてしまいます。

 一本の棒のようになった脊柱は頭の重さを体の後ろに伝えます。

 その結果、立ち上がるときの重さは、踵にかかります。

 踵に重さをかけて、お尻が浮き上がるのですが、「立ち上がろう」として、お尻をあげた途端に、重さは踵より後ろにかかります。

 このようにして、お尻は再びベッドの上に戻ってしまいます。

 「頭を使って動く」のページのアニメーションを参考にしてください。

解決法

 首の後ろの緊張をやめて脊柱を軟らかく使い、頭まで使えるようになると、立ち上がれるかもしれません。

 重さが足の裏のどこにかかるかという「足の裏を感じること」を思い出させてあげると、立ち上がれるかもしれません。

 また、頭で解決を図らず骨盤の動きでも解決ができるかもしれません。

 骨盤での問題解決法は骨盤の解剖で取り扱う予定です。

 また、上肢の緊張をやめることで、脊柱は柔らかさを取り戻すかもしれません。

 上に掲げた解決法を実際に行なうことができます。

 まず、上肢で両膝を力任せで押せないように、掌を上に向けて立つ練習をしました。

 これはかなり効果的でした。

 つぎに、首の後ろの緊張を気づくように、首筋に軽く指を当てながら、立ってもらいました。

 しかし、この緊張はなかなか抜けませんでした。

 「足の裏を感じること」を思い出させるようにしました(「感じる解剖」の「足について」で解説しています)。

 結局、この方のからだは「足の裏を感じること」と「骨盤の動き」で解決する方法を選択しました。
 

 心理的なアプローチ(おまけ)



   力学(ボディメカニクス)をツールとして動きを分析する人は、「重心を前にかけさせる」ことを重視します。

 被介助者の首を抱えて、後ろに反らさせないように首に腕を回すという「首投げ」のような介助を勧める人もいます。

 わたしはとても危険な介助だと思います。


 この方はなぜ、首の後ろに緊張を作るのでしょうか?

 この方は「立ち上がりたい」と望んでいるのに、「立ち上がるときに座る」のです。

 望んでいることと行動していることが食い違っています。

 この行動は立ち上がるときに、必ず出てくる習慣的行動です。

 不思議なことです。

 自分の意識していることと、意識下で行動していることが違うのです。


 意識については「覚醒した意識と覚醒していない意識」のページで扱っています。

 この「覚醒していない意識」状態をフロイトは前意識(Vorbewusstsein)と呼びました。

 フロイト流に言うならば、この方は「立ち上がりたくない」という思いを前意識状態で持っていることになります。

 この前意識を意識に上らせて「気づく」ことで行動が変わるかもしれません。

 表面的な行動を力で解決しても、前意識状態の問題が解決されない限り、容易に逆戻りしてしまいます。

 このように考えると、介助は単なる身体的な手助けではなくなります。

 パールズのゲシュタルト療法の考え方が役立つかもしれません。

 心理療法のエリスが役立つかもしれません。

 エリスの論理情動行動療法は、認知行動療法の源流ですから。

 このような心理的なアプローチをしないで、力学だけで人間の動きを判定してはいけません。

 「感じて動いてみる」と、いろいろなことが分かるかもしれません。

 

 ここまでのポイントは以下のことです。

 立ち上がるときに、頭から首の後ろの筋肉を緊張させると、脊柱の動きが制限されて硬くなる。

 首を反らせると頭の重さは脊柱の後ろから踵にかかる。

 そのようにして立ち上がると、重さは踵をはずれてしまい、お尻は後ろに落ちて座ってしまう。


 力学的に重心だけを考えても、習慣的な行動は改善されないかもしれない。


 必ず、自分の体で実験して「感じて」ください。

 一般意味論で言うとおり、言葉は実際に起こっていることではありません

 全体論のクワインの言うとおり、「理論は経験と密接に結びついているので、言葉だけの理論を独立させることはできない」のです。

 自分で体験したものをもとにして考えると、「地に足のついた思考」をできます。
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