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 前のページの文章を「気づき」を中心にわかりやすく書き直してみました。

 つまり、前のページで紹介した文章を以下のように、私は解釈したのです。


 日常の生活では「気づいていること」が必要であり、また、社会生活では、人々と打ち解けた関係がもてるような「注意深さ」も必要だった。

 「気づいている」ために必要と思われることはすべて行なった。

 しかし、良いと思われることを「意識して」始めた頃は、少し役立ったのだが、意識しようとすることをやめてしまったり、慣れてしまって意識しなくなると、元のもくあみだった。

 常に意識しようとしていなければ、「気づけない」のだった。

 解決法は一つだけだった。

 私の外部から、いつでも〈監視されている〉と思うことである。

 私がどんな状態にあろうと常に〈気づき〉を促すものがあれば良いのだ。簡単なことだ。

 大変な苦労をしてきたが、解決は簡単なことだった。

 では、なにが〈気づき〉を促してくれるのだろうか?

 このようなときにいつも言われることは何だろうか?

 神なのだ!!

 神のみがどこにでもく存在し、神こそがありとあらゆるものを結びつけておられるのだ。

 そして、「気づき」を与えてくれる。


monk_walking_with_candle ほらっ、こうして読むと、何のことはない、センサリーアウェアネスやアレクサンダー・テクニーク、フェルデンクライス・メソッド、キネステティクス、ゲシュタルト療法、その他で言われることと同じことです。

 ただ、グルジェフはその「気づき」を促してくれるものを、自らの中ではなく外部に求めました。

 常に「自分を覚えている」=「気づいている」ために、神の存在を求めました。

 ですから、自らが気づかなかったものは、神秘になります。

 気づかなかったものは、人間の能力を超えたものと認めれば、なにも「神秘なこと」ではありません。

 でも、「気づかなかったものは、人間の能力を越えた神のもの」と考えれば、それは神秘です。

 グルジェフはこの本の中で、「離れたところからヤクを殺せるほどに能力を高めたが、その能力は自ら封じた」と書いています。

 こんなことを書くから、ペテン師だと言われます。

 この言葉を普通の意味でとらえたら、ペテン師です。

 でも、グルジェフのねらいは、別のところにありそうです。

 この言葉を真に受けるような弟子は、グルジェフにとって大切ではありません。

 グルジェフはどの弟子も自分と同じような理解をできると考えていなかったようです。

 それが三部作を書く理由だったからです。

 自分の中にある「世界」は他の人に伝わらないと感じていたでしょう。

 ですから、言葉を真に受けて、超能力をほしがって修行に来るものは、たいして重要ではない人です。

 単なるスポンサーです。

 グルジェフは合計8回、訪米しています。

 そして、「アメリカ人はまだ心の中が閉じていないので反応が良い。アメリカ人はひょっとしたら愚かかもしれないが、まだリアルだ」と語っています。

 2回目の渡米の時には、教えを守っていないとしてをアメリカ人全員を破門しました。

 改心した人を再入門させて当時の金で11万ドルを得ました。

 半分を学校のものとし半分を個人的に蓄えたと本に書いています。

 豪胆なものです。

 話を戻して、「ヤクを殺す能力についての記載した目的は、言葉の表面的な意味をそのまま信じ込み、コンテクストを感じない弟子を選り分けることだ」と気づいた弟子には、教えられると思ったかもしれません。

 
この時代にわたしがグルジェフであったら、そうします。

 今はしない。

 オウム真理教になるから。



 グルジェフは興味深いことを言っています。

 まず、病から回復し著作を計画し実行するために、ときどき自分の内部に3つの衝動を作り出す決意をしたと言います。

1.書き続けるために「持続」、2人間の性質理解のための「忍耐」、3自分の有機体(体)の再生のための体験から来る「苦悩」
です。

 まず、続けようとしなければ完成することはないというのはわかりやすいです。

 そして、書くためには人間を知らなければなりません。その人間を知ることは大変な「忍耐」を強いられるのです。

 なぜなら、多くの人間はグルジェフのような世界観を持っていませんし、いわゆる常識という習慣的な思考をしていて、主体的に「生きていない」からです。

 病から回復するということは、システムが修復されることです。

 システムの修復はシステムの欠乏を認識することから始まります。

 多くの場合、自らの欠乏を知ることは楽なことではありません。

 体では「苦しさ」、心では「悩み」となるかもしれません。

 ですから、自らの中に「苦労」を生じさせることは「回復」に必要だと言うのです(グルジェフはこのような「理由」を明記していません。だから、神秘的に見られます)。


 次に決意したことは、人と会うときには、その人の「一番弱い部分」を見抜いて、そこを「つく」ことだと言います。

 すごいですねぇ。でも、これはゲシュタルト療法のパールズを見ていると理解できます。

 「相手を操ろう」と意識せずに弱点をつくと、相手はとまどいます。

 時には怒るかもしれません。

 自らの弱点を知ることは、上で述べたように「苦悩」だからです。

 そして、「苦悩」を知ることは、修復、回復に結びつきます。

 もし、相手が気づき回復できたら、感謝されます。

 グルジェフに会った人は、そんなことをされたら圧倒され、何が起こっているかわからないまま、自らの弱点に意識下で「気づく」かもしれません。

 その後で回復したことに気づいたら、グルジェフに絶大な信頼、いや信仰を持つかもしれません。

 もし、弱点を指摘されることで、怒って二度と会わなければ、二度と患わされることはないのですから、グルジェフにとっても良いことです。


 食べ物を拒まないこと。

 消化を開始して最低15分間は、食べられない人のことを考えて体内に憐憫の衝動をかき立てること。


 これは体を丁寧に使うために必要なことですし、自らの感覚を磨くためにも大切なことです。

 消化という「動き」をしているときには、感覚に向ける「注意」は少なくならざるを得ないからです。

 逆に感覚に注意を取られると、消化が妨げられます。これが1940年代に書かれたということを考えると、グルジェフは消化について当時の医学より進んでいたのかもしれません。




 私のいわば不倶戴天の敵の中には、通常の内的状態にある時には、「私のために魂を売る」用意のない者など一人もいない!


 どうです!この意味がわかるでしょうか? 

 これを読んだときには、翻訳の間違いかと思いました。

 この文には詳しい解説はついていません。

 この本を読んでも「意味」はわからないのです。

 私の中には意味不明の言葉として、「自らの最大の敵も、わたしの協力者とならざるを得ない」と記憶されました。

 この「意味」に気づいたのは、センサリーアウェアネスのワークショップを受けたときでした。

 グルジェフは1940年代後半は、ナチ占領下のパリで同性愛者の女性だけのグループを指導し、1949年になくなりました。

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