「期待・希望・目標」という言葉が悪いのではありません。

 その言葉が「いま、ここ」という現実と等価だという考え方が問題を作っているのです。

 「失望・絶望」も悪い言葉ではありません。

 「自分の抱いていた考え方・見方が自分を取り囲む現実に即していない」ということを体験から認識したということを示しています。

 しっかりと失望し、絶望することです。

 そのとき、自分が「考えていた」だけで、現実を「感じていなかった」と気づくことができるかもしれません。



 病気になって、回復するときに、リハビリテーションするときも同じことが起こります。

 「いつまでも良くならない」と言う患者さんは大変多いです。

 入院したときには、立ち上がれもしなかったのに、歩行器で歩けるようになっても、「良くならない」と言います。

 こんなときに、「もっと良くなるから」と慰めたり、「もっと、ポジティブに考えてごらん」と勧めたりする人がいます。

 わたしは、違います。


 今、ここでできることをしなさい。

 あなたは今日までの過去を変えることはできません。

 あなたはこれからくる未来を確定することもできません。


 あなたが今、ここで変えることをできるのは、動き方です。

 あなたの動いた結果が、あなたの未来になります。


 あれっ、ここまで書いていて気がつきました。

 これはシャーロット・セルバーが"Every moment is a moment"で書いていたことと同じです。

 エリス
パールズもきっと同じことを言うでしょう。

 また、キネステティクを介助に応用すると同じことを考えます。

 こんな訳のわからないことを聞いても理解できないだろうなぁと思うのですが、80歳を超えてもちゃんと理解する人がいるのに驚いたことがあります。



 未来や過去を示す言葉を現実と混同しないで使うことが、「言葉を上手に使う」ことです。

 これはコージブスキーの一般意味論で学習しました。

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