ゲシュタルト療法

 フレデリック(フリッツ)・パールズはドイツ人です。

 頭が良く、個性的で、自我がしっかりしていて、気むずかしい人です。

 だから、私は好きです。

 アメリカに渡って、ゲシュタルト療法を広めました。

 ゲシュタルト療法はゲシュタルト心理学に実存主義が加えられています。

 ゲシュタルト心理学そのものではありません。


 ゲシュタルトとは、ドイツ語で、「姿、形」という意味です。

 しかし、
ゲシュタルト療法では、「図」と「地」からできる全体として機能する一つの単位を示します。

 左の図は有名な「ルビンの壷」です。

 「二人が向かい合っているところ」か、「壷」が見えます。

 壷と二人が同時に見えることはありません。

 壷が見えるときは、壷が「図」になり、周りは「地」です。

 二人が見えるときは、二人が「図」であり、ほかは「地」です。

 「図」と「地」が存在するので、壷や顔が見えます。

 しかし、壷を「図」として見る時には、顔という「地」は見えません。

 顔を「図」として見るときには壷という「地」は見えません。

 このように人間は、注意を向けている「図」は感じられますが、その対象を浮き上がらせる「地」は感じられなくなります。


 上に述べたのがゲシュタルト心理学です。

 人間は自分が興味のあるものを「図」と認識して、それ以外を「地」と認識します。

 「図」以外を「地」と認識してしまうと、「地」を意識しなくなります。

 同じことが、社会で生活する中でも起こります。

 ゲシュタルト療法は、そこで、この「図と地の関係」を、「人間とその周囲の関係」に援用します。

 人間は、現在という環境に生きています。

 現在(現に存在するもの)の中で注意を向け「感じた」ものだけが、「現実」として認識されています。

 これが「図」です。

 人は「図」の部分だけを意識して生きています。

 しかし「現在」には、自分が注意を向けていないが存在する「地」の部分があります。

 
「現在」には「地」があるから、「図」を認識して意識できるようになっています。

 この図と地が一つになって意識され機能したとき、「ゲシュタルトが完成した」と言います。

 右のアニメーションでは、白い地が見えることで、図としての人が見えます。

 「地」がはっきりすると、図の「境界」がはっきりします。

 「地」の色が「図」の色に近づくと、図の「境界」はぼやけます。


 「地」をはっきりと「感じない」と、自分という存在の「境界」がわからなくなります。

 自分という存在を忘れてしまいます。

 当然、現実と現在がずれて苦しみます。

 パールズはこれが神経症の発生だと言います。

 そこで、ゲシュタルト療法では、この「図」と「地」をひっくり返して、「感じ」させてあげます

 ロジャースのように気づくまで待ったりはしません。

 気づくように、はっきりと介入していきます。

 そうして、その人が「図」と「地」に気づき、ゲシュタルトを作り、「全体としての自分」を受け入れられるようになって、生きやすくなるようにします。

 「グロリアと3人のセラピスト」のビデオを見るチャンスがあれば、是非見てください。勉強になります。