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さて、第5章の言葉も解説してみましょう。
この第5章は「グルジェフ・ワーク」について書かれています。
ワークをすることで、どんなことが起こるかを説明しているのです。
グルジェフ流のわかりづらい解説で・・・
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眠っている人間には〈なす〉ことはできない。
自分が「何をしているか」を感じていれば、動作、行動をコントロールできます。
自分が「周囲」に与えた刺激で、「周囲」が返してきた反応を感じることができると、自分のやったことがわかります。
人間と周囲がサイバネティクス・システムを作っているということは、そういうことです。
ですから、大切なことは、「周囲」からの反応を「感じること」です。
「感じること」ができる人は、「周囲」に対して適切な刺激を与えることができます。
そんな人だけが、自分と「周囲」で作るシステムの行動をコントロールできます。
「感じる」人だけが、「周囲」とともに、何かを達成できます。
何かを達成することが、<なす>ということです。
彼の場合、すべてが眠ったままでなされる。
自分の感覚をつぶしたり、感覚を認めなかったりする人は、「感じること」をしません。
自分の行動を感じていないのですから、眠ったときと同じです。
ここで睡眠というのは、生理的な睡眠といった文字どおりの意味ではなく、比喩的な意味での睡眠のことで.ある。
比喩的な意味というのは、「自分のしていることを感じていない」という意味です。
そんな人は、眠っているのと同じなのです。
何よりもまず彼は目覚めなければならない。
「周囲」からの反応を「感じる」ことで、自分が何をしているのかを、「感じる」ことが最初です。
「感じる」ことは、周囲に対して目が開くことです。
「見よう」とするのではなく、目に入ってきた光を感じて、「見える」ままにしておくことができます。
「あそこに佐藤さんがいる」というのは、見ることです。
「自分の目の中に、黒と白と肌色の映像ができている」と言うのが「見える」ことです。
「この映像は私の記憶に中では、佐藤さんのものに近い」というのが、見えることを元にした判断です。
「感じる」ことは、周囲の音に対して耳を開くことです。
「聴こう」とするのではなく、耳に入ってきた音をそのままで受け入れることができます。
「後ろで佐藤さんが話している」というのは「聴いている」ことです。
「音が耳から入ってくる」というのが、「聞こえる」ものです。
「今、耳から入ってくる音は、私の記憶の中の佐藤さんの話す音域、イントネーション、アクセントによく似ている」というのが、聞こえることを元にした判断です。」
「周囲」から受け取っているものを、判断、評価、思考から解放することが、「感じる」ことです。
目や耳が開くことで、周囲とサイバネティクス・システムを作っている現実が見えて聞こえてきます。
「気づく」ことができるようになります。
そして、楽に生きること、自然に生きることができます。
目覚めたなら、彼は現在の自分には〈なす〉ことができないとわかるだろう。
自分が「感じる」という現実を許すと、されまで、思考、評価、判断というもので見えなくされていたものに「気づく」ことができます。
そこにあったのに、思考、判断、評価で自分が隠していたと気づくことができます。
「周囲」にあるものに気づけば、それとの関係の働きがわかってきます。
「周囲」との関係で自分の行動の結果が決まると気づけば、自分の意志だけでは、結果を100%コントロールできないと理解します。
そうすると、自分一人ではものごとを達成できない、つまり<なす>ことができないとわかります。
自分のやりたいことが起こらなかったとき、つまり、失敗にきづいたときに、行動を修正して、失敗しない方向に刺激することができるかもしれません。
ネガティブ・フィードバックコントロールです。
達成する=<なす>ためには、「周囲」からの反応を感じて、フィードバックを掛け合うことが必要なのです。
周囲からのフィードバックを感じることのない「現在の自分」では、達成できないのです。
人は意図的に死ななければならない。
何かを達成しようとするなら、まずは、「自分がなにかをする」ということを、やめることです。
「見よう」、「聴こう」とする態度が、目をつぶし、耳をふさいでいたのです。
ものごとは、自分と周囲のいっしょになったものが行動して、「なるようになる」のですから、「自分」というものを強く出しては、<なる>ことがなりません。
まずは、<する>という考えを捨てること、「自分」という意識を捨てることです。
自分という意識を捨てるということが、「意図的に死ぬ」ことです。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という言葉どうりです。
死んだとき生まれることができよう。
「自分が<する>」という意識を捨てると、自分と「周囲」が一体となったシステムが見えてくるかもしれません。
そのシステムの一部として、システム全体に働きかけ、フィードバックを感じて行動することができるようになったときに、システムの要素として参加できるようになります。
全体への参加者の「自分」です。
新しい「自分」です。
「個」に固執した「自分」から、「全体」に気づいた新しい「自分」が生まれます。
だが生まれたばかりの存在というのは成長し、かつ学ぶことが必要である。
「感じる」ことで生まれ変わることができるかもしれません。
しかし、「感じる」ことは、スタートラインに立っただけです。
「感じる」ことから、「気づき」を元に自分の行動を修正してシステム全体に働きかけるという実践が始まります。
実践をとおして、「フィードバックによるコントロール」が肉となり、血となります。
こうして、意識しなくとも、周囲のことに気づき、素直に反応して「フィードバック・コントロールをもとにして、「自然に」生きていくことができるようになります。
これは「学習プロセス」です。
このような学習が必ず必要になります。
学習は「目覚めた人」が先導することでうまくできます。
それが「教育」です。
グルジェフの教団は、このように毎日の実践、ワークにより、教育したのです。
成長し、わかるようになれば、そのとき〈なす〉ようになるだろう。
実践とワークを繰り返すことで、「全体」、システム、フィードバック・コントロールを身に付けたときに、自分のやりたいことを達成する手段を手に入れたことになります。
そのようになって、はじめてなにかを達成することができます。
<なす>ことができるようになるのです。
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どうです?
なかなか、格好良い解説でしょう?
グルジェフは、このように「周囲に気づいている、自分のしたことに気づいている意識」を「高次の意識」と呼んだのです(と思う)。
えっ、理解不能?
まっ、仕方ないです。
理解には人生経験が必要だと思います。
幸いなことに、わたしは思い通りにならない嫌なことをたくさん体験しましたから、理解できたのでしょう。
でも、グルジェフが理解したことは、他の人たちも理解しているのだと思います。
次のページでは、グルジェフ以外の例をお見せしましょう。
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