想像と創造

 英会話を習っていたときに、しばしばとまどったことがあります。

 「言葉」の解釈が違うのです。

 私は"You are creative."とほめられたときがあります。

 例文を出されて、その構文を使って文を作るという練習でした。

 こういうときに、まじめに考えて「解答」する生徒がいます。時間をかけて考えます。

 いっしょにいると疲れます。

 こんなものは即興ですから、思いつくままに言えばよいのです。

 わたしは実際の生活と関係ない文を作ります。

 「私は明日、火星に行きます」とか、「結婚したいが、問題は今の妻に相談すべきかどうかだ」という文を作ります。

 すると、creativeと言われるのです。

 なぜでしょう?

 こんな想像した話がなぜ創造的なのでしょう?

 フェルデンクライスはイメージトレーニングを教えました。

 ATMやFIで体の右半分だけ、緊張を必要最小限にします。

 そして、左半分は同じことをやっていると想像させるのです。

 すると、左半分の学習は右より速く進みます。

 「想像は何もないところからはできない。体験をもとに創造するのだ」と教えました。

 ドラゴンは爪、角、翼を持ちます。

 爪、角、翼は対象として実体を持つ言葉です。

 しかし、ドラゴンは実体を持ちません。

 ドラゴンという存在を想像したということは、爪、角、翼の間に、新しい「関係=インタラクション」を創造したことです。

 つまり、想像というのは、実体を作ることではなく、インタラクションを作ることで創造なのです。

 
わたしのとまどいは、日本語と英語の文化の違いにありました。

 日本語では物事を作るのが創造ですが、英語ではインタラクションを作ることも創造なのでした。

 ひょっとしたら、自分で意識していないうちに、想像により「言葉」を創造して、自分で作り上げた「言葉」に苦しんでいるかもしれません。

 また、「従来の言葉」にとらわれる人は創造できません。

 「言葉」のイメージを固定しているからです。

 自分が自由になりたいと思うなら、言葉に縛られずに、「自分の感じている世界」を見つめて、言葉に新しい関係を作ることが必要かもしれません。

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