短い実験の中で、わたしは「全体」として存在し機能していました。

 体を持ち上げられることなど気になりませんでした。

 そのときに「感じていること」ははっきりしていました。

 過去に体験したことの記憶や、これから起こるだろうことを予測して、自分の手が持ち上げられているという「今のこと」が曇らされることは全くありませんでした。


 単にそこに存在し、そのわずかな時間に、今まで感じたことがなかったほどはっきりと「自然」だけを感じ、創造的な興奮、「気づき」により高揚し、エネルギーがパアッと広がって行くのを感じました。

 その週末には多くのいろいろな実験が行われましたが、その中でもこの実験が、知性からはもっとも遠く、知性ではもっとも伝わりずらい「理解」のときであったという点で、ほかの実験では味わえない体験でした。