アリストテレスの再発掘から、スコラ学派へ
(ちょっと、休憩)

 アリストテレスの著作はたくさん残っています。

 なぜ、こんなにたくさん残っているのでしょうか?

 アリストテレスは遺稿をスケプシスのネレウスに贈りまし たが、ネレウスの後継者たちは没収をおそれて、洞窟の中に隠しました。

 しかし、彼らは哲学に興味がなかったので、そのまま放置されました。

 紀元前70年に なって、ローマ軍とポントス王ミトリダテスが戦争をしたときに、アペルリコンという士官により発見されたと伝えられています(アリストテレスの哲学 D. J.アラン 山本光雄訳 以文社 1979)。

 アリストテレスの死後、180年間洞窟で眠っていたことになります。

 その後、敵のローマ軍 の将軍スッラに戦利品として渡り、結局、ローマでロドスのアンドロニコスという学者の手で改訂され写本が出回るようになりました。

 現存するもっとも古いギリシア語の写本は9世紀のものです。

 アリストテレス以外の哲学者、たとえばスペウシッポスなどの論文はほとんど残っていません。

  わずかに、引用やアリストテレスが反論したことで推測されます。

 洞窟に忘れられたことが幸いしました。


 12世紀にイスラム学者のイブン・ルシュドが、残されたアリストテレスの著作を評価し、研究しました。

 これが、キリスト教に流れ、トマス・アクィナスを はじめとするスコラ学派という人々に受け継がれました。

 そして、修道院できれいに写本され、広められ保存されました。

 ところで、同じ12世紀には、アッジシの聖フランシチェスコが貧困と「兄弟愛」の誓いに固執する運動 (「フランチェスコ会」) を創始して、教会の蓄財傾向を批判しました。

 このフランチェスコ会の非難に対して、スコラ学派は聖書とアリストテレスの言葉で応戦しました。

 このようにして、アリストテレスの考えは、キリスト教か らヨーロッパの文化に深くしみこんでいきました。

 薔薇(バラ)の名前」という映画を見ると、当時の修道院の図書館の存在意義、アリスト テレスに対する評価の高さがわかります。

 実は、この映画はイタリアの大学の「記号論」の教授、ウンベルト・エーコが原作を書きました。

 修道院の中の殺人事 件を扱っています。

 何も知らないと、おもしろくない暗い映画です。

 しかし、「言葉の意味」、「記号の伝達」、「文化の変遷」、「価値観」などについて考 えていると、つまり「意味論」や「記号論」の応用としてみるとおもしろいです。

 主演はショーン・コネリーです。

 映画よりも、小説がおもしろいので、読んで みてください。


 「薔薇の名前 Nome de la rosa」という題名のの「意味」がわかると、ちょっと賢くなった気になります。