さて、アリストテレスは「学習」についてどう言っているのでしょう?
「分析論後書」のはじめに
「思
考のはたらきによる、すべての教授、すべての学習は、どれもみな、(学習者の内に)予め存する認識から生まれてくる
(アリストテレス全 集1 分析論後書 第1巻 第1章 p.613 岩波書店 1971)」
と書かれています。
アリストテレスは、知識は「もの」ではない、与えたり取り上げ たりできないと言います。
知識は、当事者の外部で、当事者の付属物として変化するのではないと言います。
人間の存在自体に関わることがら、生まれながらに 備わっている特性と考えていました。
人間も元々自分の体験・経験として持っているもの以上のことは、教えられることはないのです。
後生の人は、「人間の生まれた後、経験の中で知識が培われ る」と考えましたが、アリストテレスは生まれながらに持っていると考えました。
認識論のベイトソ ン、一般意味論のコージブスキー、そして、フェルデンクライスも、「自分の中に知識がある」と言います。
「自分が知っていた」ということに気づくのだと言 います。
いずれにせよ、「学習」とは「自分の中にあるものを認識すること」です。
けっして、言葉という記号で伝わるものではないのです。
アリストテレスの不幸は、ここまで気づいていながら、そこから考えたことが、「言葉を厳格に定義して使うことが必要」と考えたことでし た。
言葉を厳格に定義しても、その「意味」が受け手の中で作られる以上、誤解はさけられません。
アリストテレスはロゴス(言葉)で論理を適正にしようとしました。
そのために、「論理学」という本を書きました。
しかし、成功したとは思いません。
その後、多くの人が「アリストテレス的思考」の弊害に苦しんだからです。
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