4-3 学習


 さて、アリストテレスは「学習」についてどう言っているのでしょう?

 「分析論後書」のはじめに

 「
思 考のはたらきによる、すべての教授、すべての学習は、どれもみな、(学習者の内に)予め存する認識から生まれてくる

 
(アリストテレス全 集1 分析論後書 第1巻 第1章 p.613 岩波書店 1971)」

 と書かれています。

 アリストテレスは、知識は「もの」ではない、与えたり取り上げ たりできないと言います。

 知識は、当事者の外部で、当事者の付属物として変化するのではないと言います。

 人間の存在自体に関わることがら、生まれながらに 備わっている特性と考えていました。

  人間も元々自分の体験・経験として持っているもの以上のことは、教えられることはないのです。

 後生の人は、「人間の生まれた後、経験の中で知識が培われ る」と考えましたが、アリストテレスは
生まれながらに持っていると考えました。

 認識論のベイトソ ン、一般意味論のコージブスキー、そして、フェルデンクライスも、「自分の中に知識がある」と言います。

 「自分が知っていた」ということに気づくのだと言 います。

 いずれにせよ、
「学習」とは「自分の中にあるものを認識すること」です

 けっして、
言葉という記号で伝わるものではないのです。

 アリストテレスの不幸は、ここまで気づいていながら、そこから考えたことが、
「言葉を厳格に定義して使うことが必要」と考えたことでし た。

 言葉を厳格に定義しても、その「意味」が受け手の中で作られる以上、誤解はさけられません。

 アリストテレスはロゴス(言葉)で論理を適正にしようとしました。

 そのために、「論理学」という本を書きました。

 しかし、成功したとは思いません。

 その後、多くの人が「アリストテレス的思考」の弊害に苦しんだからです。