人形とままごと遊びをしている子どもを見てみましょう。

 お母さん人形をもって、「あなた、会社に遅れますよ」と言いながら、お父さん人形を起こしているとしましょう。

 このとき、子どもは「会社」という言葉の意味は知らないのです。ただ、「言葉」として知っているだけです。

 しかし、この遊びの中で、「会社」はお父さんを起こすものだということを自分の行動として「意味」づけます。

 こうして、「外言」から「内言」を獲得します。

 そして、この「内言」を使うことで、抽象的思考や反省、推論、判断ができるようになります

 思考できるようになります。

 この過渡期が「自己中心的言葉」の時期だというのです。

 ヴィゴツキーの「自己中心的言葉」、「内言」についての考えは、現在でも認められています。

 これが1920年代の話です。

コラム

 1896年に生まれたヴィゴツキーは早熟の天才で、旧ソビエト連邦でモスクワ大学の法科とシャニャフスキー人民大学の哲学科の2つを同時に、1917年に21歳で卒業しました。

 大学卒業後、中学校、師範学校、演劇学校で教師をした後、1924年、本格的に心理学の研究に入りました。

 1925年、29歳で論文を完成させ学位を取ると、ソビエトの心理学界にデビューし、たちまち重鎮になりました。

 その後、心理学の教授をしながら、医学部の学生になり、研究を推し進めました。

 政府からも重要視されました。

 ところが、ヴィゴツキーの作った知能テストを受けてスターリンの息子がノータリンと判定されてしまいました(という噂)。

 その後、ソビエト政府から冷遇され、37歳で夭折しました。うーん、残念。

 ヴィゴツキーは、子どもの学習環境となる周囲の友人、家族、環境の中で、周囲から刺激を受けて発達する部分を「発達の最近接領域」と呼びました。

 もともと年齢的に到達できない学習領域があります。クラスの中でも、すぐ理解することほかの子どもや先生に手伝ってもらって理解できる子がいます。

 自分一人では学習を完成させられないが、他の人の手助けがあれば、学習できる領域が「発達の最近接領域」です。

 ヴィゴツキーによれば、「学習とは発達の最近接領域との相互作用により、子どもの内部の構成が変化し、環境に適応し能力を拡張すること」になります。

 ピアジェの教育理論は生物としての個人の範囲の学習を考える構成主義でした。

 ヴィゴツキーは、学習を社会という「全体」の中で起こる構成の変化ととらえました。

 ヴィゴツキーの最近接領域という考え方は、社会構成主義に発展しました。