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このように考えると、宇宙の精神が方向性を持っていても、構成要素の一つである人間には観察できません。
システムの構成要素はシステム全体を観察することはできないからです。
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「全体は部分の総和以上である」というシステム理論の考え方から、サイバネティクスシステム、「生きているシステム」、エコロジーを経て、人間には宇宙の精神はわからないというところに至ります。 |
もし、「宇宙の精神」があり、それを「神」と名付ければ、「神の御業(みわざ)ははかりしれない」という昔ながらの考えに至ります。
ただし、これは反証可能ではありません。結局、私たちは宇宙のシステムの構成要素であり、「全体」をそのままで知ることはできないからです。
「一般意味論」によれば、「神」という「言葉」は「神という実体」とは違うのですから、従来からある「神」という言葉を、新しく気づいたものにつけることは危険なことかもしれません。
というわけで、ここは結論のないままに進みます。
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