超自我

「超自我 super-ego スーパーエゴ, Ueber-Ich イーバーイッヒ 上位自我」


 人間がエスをそのままむき出しにすると、環境・世界の中では生きていけません。

 食べたいときに食べて、気にくわないものは壊すという生活をしては、自分の環境も破壊して生存できなくなります。

 人間は社会的動物です。

 社会には法、条例、規則、掟、慣習、常識があります。

 まとめていうと「文化」です。

 この「文化」を守りながら行動することが「社会」から求められます。

 これが子どもの時からしつけられます。

 「しつけ」はエスが求めるものではなく、自分の外側の環境から求められるものです。

 子どもの時からしつけられているために、成人したときには、しっかりとこれらの「文化」は自らの中に食い込んでいます。

 ゲシュタルト療法のパールズのところで、イントロジェション(丸飲み)として解説したものです。

 この丸飲みした「しつけ」が「超自我」を作ります。



 心の中の超自我は、自分の外側の基準に従った言葉を作ってきます。

 「わたしは母親なんだから、この子をしっかり育てなければならない」

 「風邪を引いて休んだら、職場の人に迷惑をかけるから、わたしは風邪をひくわけにはいかない」

 「どんな人にでも優しくしなければいけない」

 「人は平等であるべきだ」

 「若者は結婚しなければならない」

 「一人前になってから、恋愛をすべきだ」

 「先祖の墓を守るのは当然だ」

 これらは、その人の住んでいる社会の宗教、道徳、慣習が、心の中に植え込んだ超自我から出ている言葉です。

 違う宗教、違う国、違う土地では、全く反対になることもあります。



 フロイトは、ドイツ語で Ueber-Ich と呼びました。

 そのままの意味は、「わたしの上にあるもの」です。

 ドイツ語から、日本語に翻訳した人は、「上位自我」と翻訳しました。

 これを英語の翻訳家が、かっこをつけて、super−ego と翻訳しました。

 英語の翻訳から学習した人は、「超自我」と翻訳しました。

 現代の日本では、超自我の方が普及しています。

 でも、わたしが理解できる範囲では、「上位自我」のほうが適していると思います。

 いちばん、合うのは、「抑えつけているわたし」だと思います。



 社会で生きていくための文化の中で、行動の規範は「道徳 モラル」と呼ばれます。

 「道徳」に従って生きていれば、社会から非難されることはありません。

 道徳的な生き方を「道徳原則 Moralitaetsprinzip」と呼びます。

 わたしという人間の中にある、「超自我」は、「道徳原則」に従って活動します。



 「わたしはナースとして患者さんの悩みを理解しなければならないのです。」

 しばしば、病院の中で聞かれるセリフです。

 これを「自分の思い」だと思いこんでいる人が多い。

 実はこれは自分ではなく、自分の中にある「超自我」が思っていることです。

 嘘だと思うなら、これを「わたしはナースとして患者さんの悩みを理解したいと思う」と言ってみてください。

 言葉を発しているときの気持ちがまったく違うことに気づくでしょう。
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