マズローが、「自己実現した人」として直接面接し観察した生きている人間は9名です。
さらに不十分だが研究に使える人が5名でした。
あとは歴史上の人物や、他者によって示唆・研究された人が50名くらいです。
こうして、「自己実現」を定義しました。
その中でも、以下の人々が私が知っている代表的な人です。
リンカーン、トマス・ジェファーソン、エリノア・ルーズベルト、シュバイツァー、オルダス・ハックスレー、スピノザ、ゲーテ、パブロ・カザルス、鈴木大拙、ジョージ・ワシントン、ピエール・ルノワール、トマス・モア、ベンジャミン・フランクリン
「観察例が偏っている」、「観察例数が少ない」、「マズローが『良い人生』と認めた人間だけが対象になっている」と非難されます。
マズロー自身もこのような批判が出ることは覚悟していたようで、「直感的な信念を頑固に追求した」と「人間性心理学」の序に書いています。
もちろん、その結果は成功したと述べていますが・・・。
この中の鈴木大拙は、アメリカに禅を広めた僧です。
鈴木大拙はセンサリー・アウェアネスのシャーロット・セルバーとも親交があり、一緒にセミナーをしていました。
マズローの「自己実現」の言葉による定義は、「地図の地図を作る」ことです。
自己実現という言葉の意味は、マズローが観察した人々そのものの中にあります。
最初の定義では、「自己実現」は60歳以上になって、かろうじて到達できる神聖な神殿でした。
しかし、それでは多くの人の「動機」とするには妥当ではありません。
ですから、「完全なる人間」で「自己実現」を再定義しました。
普通の人でも、何かのときには「自己実現」できるとしたのです。
「自己実現した人」は、その頻度が高いのだとしました。
再定義したことからも、マズロー自身は「自己実現していない人」だと思います。
マズローは自分より優れていると思われる人を観察し、「自己実現」という概念を定義しました。
しかし、自分より優れていると思われた人の人生はマズローには体験できないものです。
結局、マズローの「自己実現」の概念は、自らの体験に基づかないものですから、意味論的な「意味」を持ちません。
上記のことを考え、「自己実現」の修正された定義を読むと、「自己実現」とはいわゆる解脱や悟り、アウェアネスと同じことをさしていると思います。
アウェアネスは、いつでも体験できるのです。
自分の思い込み、先入観をはずせばよいだけです。
簡単ではありませんが、基本的欲求より高次というわけではありません。
誰でも、自分の体を使って感じることができます。
釘の上に寝たりするような特殊な修行は不要です。
マズローの「自己実現の欲求」は、自ら書いた「自己実現の経営」やマグレガーの「企業の人間的側面」を通して、経営セミナーなどで浸透しました。
マズローの初期の定義では、まるで職業人として有能であることが自己実現であるかのようです。
ですから、病院のナースも「自己実現しなさい」と迫られます。
職業人として有能であることは、基本的欲求の「尊重の欲求」レベルのはずですが・・・。
自己実現は「優秀な職業人」を作り出すために、管理する側に都合の良いように使われているようです。
言葉ではなく、マズローの目指した人々の人生の中に、「自己実現」があります。
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