「人間は社会的な動物である」というのは、アリストテレスの言葉です。
正確には「人間はポリス的な人間である」と言いました。
「全体としての人間」を主張するゲシュタルト療法でも、人間が社会とともに生きていくことを認めます。
人間は一人では生きていけません。環境という場があって、初めて生きていけます。
パールズは、
「人間の行動は、人間と人間を取り巻いている環境を含む、全体的な場の関数関係にあると言える。
すなわち人間の行動は、環境との関係がどのようなものかによって決定される。
・・・人間が自分の置かれた環境のなかで、どのように機能するかを研究することは、人間と環境とがコンタクトを持つ、その接点において、何が起きているかを研究することと同じである」
と言います。
大切なことは、人間と環境の境界、接点、コンタクトしているところで何が起こっているかです。
「図の意味」が境界にあるということと同じです。人間という「図」の意味を示すものは、その環境との「境界」なのです。
境界をどこに置くかで、人間の行動は変わります。適正な位置に境界を引けば、人間は環境と仲良くやっていけます。
自分の行動にたいして、環境が返してくる反応に順次反応していけば、人間の機能は100パーセント働きます。
100パーセント働くと言うことは、、成功することではありません。成功するということは、目標を達成することです。
そんなことは、未来のことですから、約束はできません。しかし、100パーセント機能すれば、目標に向けて行なう行動が目標を見据えたものであることは、保証できます。
自分と環境の境界を知ることは、人間が社会で生き抜くために大切な要素です。
人間と環境が作るホメオスターシスの前提条件です。
境界が適正なところに引かれないと、苦しいことになります。
これが神経症のもとです。
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