全体としての人間Valid HTML 4.01!


 アリストテレスからデカルトにつながる「科学的思考」は分析が中心でした。

 人間を構成要素に分解していき、構成要素をさらに分解して、これ以上は分解できないというものまで、バラバラにすれば、全体がわかると考えました。

 要素還元論または還元論(reductionism)と呼ばれます。

 その延長にフロイトの精神分析がありました。

 パールズもフロイトに精神分析を教わりました。

 しかし、研究するうちに分析では解決できないと感じました。

 パールズはフロイトの元を去りました。

 パールズは当時、ヨーロッパに広がってきた実存主義、つまり「今、ここに存在しているものが、『そのもの』である。抽象化した言葉や観念は『そのもの』ではない」という考え方を認めました。

 パールズは『気づき』を大切と考えてセラピーをしていましたが、1950年、その療法にゲシュタルト療法という名前をつけました。

 自己とその環境が一体となったものをゲシュタルトと呼びました。

 ゲシュタルトを作るものは、信じていることではなく、言葉でもなく、主義主張でもなく精神を分析したものでもありません。

 「今、ここ」で自分が感じて体験していることが、ゲシュタルトです。

 話が逸れました。還元論に戻ります。アリストテレスからデカルトにつながる分析を重視する「科学」では、「人間は精神と体の2つに分けられる」と考えていました。

 しかし、人間は「全体」として機能しているので、還元論では問題は解決しません。

 ゲシュタルト療法では、「全体としての人間」を見ます。

 「体と精神は全体を作る。これを分けることはできない」と考えます。

 対象を「全体」として考えるので全体論的です。

 体は精神に作用し、精神は体に作用し、お互いのインタラクションにより、「全体としての人間」が機能しています。

 体だけに焦点を当てて分析しても、精神だけを分析しても、「人間」は理解できません。

 「全体」が人間だから、一方だけを論じることはできません。

 では、精神と体の違いは何でしょうか?

 
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