ところが、東野さんは目の前の「失望」を見たくありません。

 ですから、期待に応えようとします。

 自分の時間を削るような苦労をして、なんとか期待に応えるような結果を出します。

 すると、期待した人はさらに大きな問題を持ってきます。

 これはポジティブ・フィードバックです。

 自分のとった行動がブーメランのように戻ってきているのです。


 最後は解決できないほど大きな問題を持ち込まれて、相手の失望するような結果を出すところまで行きます。

 そうして、東野さんも燃え尽きてしまい、相手も大きな失望を味わいます。

 はじめの小さな失望を嫌ったばかりに、最後の大きな失望の爆発が燃え尽きるまでポジティブ・フィードバックが続きます。

 最初に苦しいと思ったときに、素直に「これは期待に応えられません。私は苦しいんです」と言ってよいのです。

 自分が頼られるなら、自分も他の人に頼ればよいのです。

 自分が頼られることだけを求めて、自分が困ったときに他の人に頼らないのは、上手なインタラクションに見えません。



 東野さんの行動パターンはフィードバックの評価を相手の失望の有無ではかっています。

 自分の感覚ではないのです。

 フィードバックを評価する基準を他人の満足ではなく、自分の中に変えてみると苦しさは変わるかもしれません。

 東野さんが「期待」されたときに、「自分がどのように感じているか」を素直に認めるとよいかもしれません。

 期待されたときに自分の感情はどのように反応しているのか、体にどのような影響を与えているのか、呼吸が止まっているのではないか、胸の中でキュッと収縮する筋肉がないのか、肩があがっていないか、大胸筋に力が入っていないか、眼輪筋に力が入っていないかなどをチェックしてみれば、自分がどんな感情を抱いているのかがわかります。

 それを素直に認めれば、自分の感情をそのまま許すことができます。

 感じているだけの感情を表現すればよいのです。

 
自分の感情を許せなければ、他人の感情も許せないのです。


 「それはやりたいと思っていない」と、素直に反応すれば、相手は「東野さんにはこれは頼めるが、あれは頼めない」と学習します。

 もし、相手が失望するのなら、勝手に期待していた相手が悪いのです。

 このときに、相手に「あなたならできると思うのよ」と言われて、それを真実と認めてはいけません。

 それは根拠のない予測であり、「今、ここ」ではないのです。

 エリスの言葉を借りれば、相手から評価されなくても、東野さん自身が自分を認め許していればよいのです。

 「今、ここ」は、自分の呼吸、自分の顔の筋肉の緊張などの変化で示されていることなのです。


 「今、ここ」を忘れて、現実から離れたことを基準にするから、苦しくなります。

 そして、飲みながら内藤さんと話しているときにも、同じパターンの習慣的行動で反応しているのです。

 「今、ここ」を忘れて話しているのです。