今、ここで行動できる具体的なことを期待されているなら、問題解決は容易です。


 たとえば、「トイレに行きたい」というものなら、車いすを使ったりしてトイレに行くのを手伝えばよいのです。

 しかし、「未来のことを確実に予測する」ことは不可能です。

 また、病気になっても自分自身の生き方をはっきり決めていない人が多いですから、患者さんの納得するような目標がいつでも立てられるわけではありません。

 そんなことはできないときの方が多いでしょう。

 東野さんは「期待に応えることが優しさ」だと思っていますから、「優しくしよう、期待に応えよう」とします。

 患者、家族、同僚、上司にも同じ態度はです。

 ですから、「優しい」と評価されています。

 でも、その「評価」を守ろうとして、「優しく」行動しようとすると、自分が苦しくなります。

 「できないことをしようとしている」からです。

 「期待」されていることは、「現在のこと」ではありません。

 「こうなってほしい」ということが「期待」ですから、それは「現実」ではありません。

 行動できるときは「現在」です。

 ですから、「期待」にはいつでもよい結果で答えられるとは限りません。


 よい結果が出なければ、期待した方は失望します。

 その失望の可能性があることを認めていなければ、「期待」を受けたときに、苦しくなります。

 でも、多くの「優しい」人はそれを認められないのです。

 相手に失望を与えた自分を責めます。

 東野さんに期待する人は自分ではできないから期待しています。

 それが東野さんのできる範囲内のことなら、現在の行動でかなえられます。

 しかし、未来の予測はできません。

 東野さんが忘れているのは、自分に期待されていることが、「今、ここ」でのことなのか、「未来」のことなのかを見定めることです。

 「今、ここ」のことは自分で変えられますが、過去は修正できませんし、未来も確定できないのです。