幸福と介助



 わたしは「幸せは自分の存在をはっきりと感じたとき」だと思う。

 「ああ、自分は今、ここに存在している」という「存在感」をはっきり感じるときに、幸せだと感じる。

 「生きていて良かったな」という表現をすることもあるでしょう。

 自分が「かけがえのない一つの存在」であることに気づくことが「幸せ」の瞬間でしょう。

 誰か他の人がやったのではなく、まさに自分がこの仕事をやったと感じた瞬間は「幸せ」でしょう。

 食事をしたときに、評論家の言葉を借りて表現せず、自分の感覚で食べ物を感じることができたときに「幸せ」でしょう。

 同じ仕事をしても、他の人の力が大半で自分はたいしたことをしていないという状況では、幸せになりません。

 同じものを食べても、評論家が「これはおいしい」とコメントしているからおいしいはずだと思って食べているのでは、幸せになりません。

 自分の感覚を使って、自分自身が何を感じているかに気づいたときに、自分が生きている、自分が存在していると気づくでしょう。



 心理学のマズローは、このように「自分の存在にはっきりと気づくこと」を自己実現と表現しました(と思う)。

 神秘主義のグルジェフは、「わたしが<存在>するとき、世界はリアルになる」と表現しました。

 きっと、同じことを意味しているのでしょう(故人なので確認できません)。


 このような考え方に従えば、「お金がないから幸せになれない」とか、「結婚しないと幸せになれない」とか、「ダイヤモンドを買わないと幸せになれない」と言うことはなくなります。

 あー、誤解しないように。

 お金を持って幸せと感じたり、結婚して幸せと感じたり、ダイヤモンドやハンドバッグを買って幸せになっている人の幸せを否定しているのではありません。

 そのような人々は、お金を稼ぐ、好みの異性をつかむ、ものを買うという行動を達成したから、幸福なのでしょう。

 しかし、そのような「もの」や「他の人」を手に入れるという行動には、元の所有者や相手の異性の行動が決定的影響を与えます。

 値段が折り合わなければ、買えませんし、結婚は相手の気持ちが重要です。


 でも、自分のできることの範囲内のことについては、自分の行動で決定されます。

 このような小さな範囲でも、自分のできることを確実に達成していけることに気づけば、幸せになれるだろうとおもうのです。