「自分の存在に気づくときに、幸せと感じる」という考え方に賛成なら、「介助」の意味を今までとは違ったものとして理解できるかもしれません。
「被介助者が幸せを感じるといいな」と思うのでしたら、被介助者が自分の存在を感じるようにしてあげることが効果的かもしれません。
被介助者が「自分で達成した」と感じることが幸せの元になるのですから、お節介をやめて、その人にできることをやってもらうことが効果的かもしれません。
そのためには、その人のできることを見極めることが必要です。
その人の今まで見つけられていない能力を発見できると、とても幸せになるでしょう。
そのためには、その人がゆっくりと動くのを待つことが役立つかもしれません。
被介助者には自分の持っている小さな力で動くためのたっぷりとした時間を与えることが必要かもしれません。
立ち上がって歩けない人には、這ったりずったりして移動できる空間を与えることが必要かもしれません。
また、「這ったり、ずったりするのはみっともない」という社会の固定観念を捨てて、「自分で移動できることは高い能力」という考え方を家族に提供することが必要かもしれません。
このように「自分で何かを成し遂げた」という体験が、幸せに結びつくでしょう。
自分で移動するための時間も空間も提供されず、社会の通念を踏襲するために動きを封じられ、全介助されていては、幸せにはなれません。
全介助されることは、幸せを奪われることです。
上記のような考え方をするだけでは、不十分です。
幸せは「自分の存在を感じる」ことで得られるのです。
あなたは介助者として、被介助者に接します。
ですから、その「接触の質」が大切です。