このようにサイバネティクス的教育をすることで、学習者の「ユニークさ」を壊さずにすみます。
そして、学習者という「生きているシステム」は、教育環境からのフィードバックで自分の行動を確認し、気づき、体験から学習できます。
習い事の「師匠」は、学習者の「環境」です。
柔道を習うということは、環境からのフィードバックを体験し学習していることです。
このような教育により、学習者の内部のシステムの構成は自主的に変化します。
これが「学習」です。学習者の内部の構成が変わることが学習なのです。
これを構成主義と言います。
構成主義理論では、「学習とは態度の変容」です。
学習者の「考え方」=態度が変わることで、行動が変わります。
行動だけを変えると、「外側の世界」が「内側の世界」のイメージに正しく映し出されません。
また、システム内部の構成が、システムの行動とそぐわなくなり、内部の崩壊に結びつくかもしれません。
行動主義が人間性回復運動で排斥されたのは、そのためです。
結局、教育は学習者の「環境」を整えることでしかありません。
環境というのは、勉強部屋を作ることではありません。
学習者に内部の欠乏を気づかせることです。
それには、失敗を体験させることが必要です。
学生のときには、どんどん失敗させましょう。
それが「学習」のチャンスを与えます。
学生の時に成功体験しかしない人は、自分を拡張できません。
頭でっかちで、「言葉」で学習できると思い体験を軽視します。体で覚えることをしません。
|