全体論 Valid HTML 4.01!

quin クワイン Willard van Orman Quineは、アメリカの科学哲学者です。

 この人が、現代の「全体論」の大御所です。

 2000年に92歳で死ぬまで、世界の哲学界に大きな影響を与えました(と言われます)。

 実験によって仮説の正否を決めることはできないというデュエムの考えを推し進めました。

 この主張は、「デュエム-クワイン・テーゼ」と呼ばれます。

 これが、新しい科学哲学の基礎と言われます。


 理論は経験と密接に結びついているので、言葉だけの理論を独立させることはできない。

 あるものを、みんなが同じようにとらえることは不可能である



 経験の中から生まれた疑問を解決しようとして、仮説ができます。

 その仮説を基盤にして実践して、仮説が現実と矛盾しないことが経験されます。

 このようにして妥当と見なされた仮説を集めたものが、「理論」となります。

 このように、「理論」と「経験」が一つとなって、「全体」を作っています。

 その「全体」の一部を切り出して実験により部分の正否を判定しても、「全体」を判定はできません。

 このように「全体」は一つのもので、「部分」に分けたときとは違う特質が「全体」にはあるという考え方を「全体論」といいます。

 「部分」に分けていき、「部分」の性質や構造を調べることが「全体」を知ることだとする考え方を還元論といいます。

 「全体の特性を部分の特性の和に還元する(説明の根拠とする)」ということです。

  物理学と全体論

 全体論と還元論は物理学にも取り込まれていて、

1. 方法論として

 方法論的全体論=複雑系の理解には「部分」の構造や行動のレベルではなく、システム全体の行動を司る原理を探ることであるという考え方

 方法的還元論=複雑系の理解は「部分」の構造や行動のレベルで探ることでできる。

2. 形而上学全体論

 この「形而上学的」という言葉は他のページで説明してあります。直接経験できるものではないものについての観念を扱う学問です。

 本来、形而上学と物理学(physics)とは、別種のもののはずなのですが、現代物理学では融合してきます。

 形而上学的全体論は、あるシステムが自然に持っている性質は構成要素が持っている性質では決まらないという考え方です。3つに分けられると言います。


 存在論的全体論 構成要素の物理量の総和ではない全体もある

 特性論的全体論 構成要素の特性の総和ではない特性を持つ全体もある

 法則論的全体論 構成要素の構造や行動を決定している基本的な物理法則で決定されない法則に寄っている全体もある


 実はこれは量子力学の世界で出てくる問題です。

 ですから、日常生活には関係ないのですが、「全体論」というものが現代科学に与えている影響を感じてください。

 アインシュタインを知っているでしょう。

 相対性理論を発表し、量子力学の扉を開きました。この量子力学を進めたのが、ボーアでした。

 しかし、アインシュタインはボーアの進めた量子力学に反対しました。

 ボーアが量子の存在は、実体として位置と時間を確定できないとしたのですが、アインシュタインは物理量として存在するはずと考えました。

 1935年、アインシュタインとポドルスキーとローゼンが連名で、ボーアの量子力学の矛盾をつく問題を提示しました。

 このパラドックスの内容はわたしの理解を超えるので、他のサイトを探ってください。3人の頭文字をとって、EPRパラドックスと呼ばれます。

 しかし、アインシュタインの努力も虚しく、ボーアは量子力学の範疇で説明してしまいました。

 説明を省いて結論を言うと量子力学では、2つのものを同時に測定するということがその2つを一つの「全体」に組み込んでしまうことになるのです。

 2つのものを評価した途端に、2つの対象はシステムになります。

 これを分離不能性と言います。量子力学のこれからの分野です。


注意

 「全体論」は理論です。

 理論は現実を見てそれを理解するためのツールです。

 ですから、「全体論が正しくて、還元論が間違いだ」と言うことはできません。

 単に自分が感じることのできる現実を、どのように理解するかという考え方として理論を理解するのが好ましい態度です。

 無理矢理、自分の中に取り込んで、誰かに教えようとすると苦しくなりますので、ご注意。



 測定に関しての分離不能性、システム、全体という考え方は、「観察」の意味を考えさせます。

 「観察」という観察者の行為が関係のないはずの2つのものをシステムという「全体」にするのです。

 いろいろな考え方ができるでしょう。


 「システムの中で起こっていることは、外からは観察できない。 観察者は「観察」した途端に対象物と新しいシステムを作ってしまう」と考えることもできます。

 この考え方は、文化人類学などのフィールドワークに取り入れられています。

 ベイトソンは人類学者として、ニューギニアやバリの人々の中で観察していましたが、サイバネティクスを通してそのような観察の限界を知りました。

 また、分離不能性とデュエムの考え方を延長し、「観察する人が何を観察しようとするかで、観察されるものが違ってくる。だから、決定実験はできない」と考えることもできます。

 ハンソンNorwood Russel Hansonは、「科学的観察は観察者の持っている理論によって、解釈され意味を持つ」と考えました。

 これを理論負荷性と言います。1958年、ハンソンはPatterns of Discoveryを書きました。

 There is a sense, then, in which seeing is a 'theory-laden' undertaking. Observation of x is shaped by prior knowledge of x. Another influence on observations rests in the language or notation used to express what we know, and without which there would be little we could recognize as knowledge.

 事象は、「理論負荷性」により、「観察」される。Xについてあらかじめ持っている知識によって、Xについての観察がはっきりしてくる。そのほかに観察に影響するものは、観察者が表現するのに使える言葉や観念である。そんな言葉や観念なしに理解できることはほんのわずかしかない。

 この考え方は、科学的観察のゲシュタルトを変えることだといわれます。


 ありゃりゃ、今度はゲシュタルト心理学が出てきました。

 「このサイトはいろいろなものが関連づけられていて、迷子になる」と言われます。

 それは現代の思想にはいろいろな分野の人がそれぞれの考え方を取り入れて改善した歴史でもあるのです。


 この理論負荷性の考え方を延長すると、全体を決定的に断言できる決定実験はありえません。

 もし、理論を否定したければ、実験ではなく、理論を包み込む現実全体が理論に反していることを見せることになります。

 ある理論が出て、世界がその理論では説明できないことに気づいたときに、理論の変換が求められ、劇的に変化します。

 これをクーンはパラダイムの転換と呼んだのでした。「科学とは何か」に書いたことです。

 このようにして、哲学としての「全体論」は物理学をはじめとして、社会学、心理学などのすべての現代科学に影響を及ぼしました。


全体は部分の総和以上である


 このサイトの隠された中心テーマが「全体論」であり、なんでも部分にして数値化して評価すればよいという還元論一辺倒に見える科学性に対する疑問なのです。

 全体論も、還元論も理論です。これは現実を感じて理解するためのツールです。

 どちらが優れているかではありません。

 大切なことは、「自分が今、どんな理論で世界を見ているか」に気づいていることです。

 「全体」という考え方を理解して、「学習と理論」に紹介したものや、体の動きを理解すると、今までとは違ったものが見えてくるかもしれません。

 ボディメカニクスとキネステティクが比較されることが多いのですが、一つの回答として、「ボディメカニクスは還元論的な分析をして、キネステティクは全体論的分析をしている」と言えます。

 褥瘡について、局所環境や栄養や危険因子の点数付けにこだわるのは、還元論的です。

 全体論的に見ると、「全体」に足りない動きを手伝ってみて、その効果を見て、次の対処を考えることになるかもしれません。

 サイバネティクス・システムの考え方を取り入れると、必然的に「全体論」を考えることになります。

 じつはキネステティクと褥瘡のケアについて全体論的な考え方を紹介したいがために、このページでは量子力学まで引っ張りました。

 全体論の「全体」を知ってもらってから、「全体論」の具体化としてのキネステティクと褥瘡ケアを理解して欲しかったのです

注意 

 ここでは、「全体論」(ホーリズム)を紹介しました。

 しかし、いわゆるホリスティック医療を勧めているのではありません。

 あくまでも、考え方としての「全体論」を紹介しています。

 名前は実体とは別物です。

 数値化することが科学と思う今の医療の中には、納得できないものがあります。

 おなじように、「ホリスティック」といえば万能であるかのように主張するいわゆるホリスティック医療の中にも納得できないものがあります。

 名前に意味はありません。

 「実存は観念に先立つ」、「地図の地図を作ることができる」を忘れずに。


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