ここで、最初の英会話のテキストに戻ります。


「主観を交えるテクニック」

A: Kaz, you seem to have made a mistake in your calculations.
B: Really? But I went over the figures 4 times!


A: カズ、計算間違ってたみたいだよ。
B: 本当? だけど、4回もやったんだよ。

 直接的に、Kaz, you've made a mistake in your calculations.と言うと、角が立つこともあるでしょう。

 こうした、事実へのきっぱりとした言及から、seem to と主観を交えることによって、はるかにアタリの柔らかい発言を実現していますね。

 「直接的言及」から距離をとっているんですよ。やり方は簡単!I think...., I'm afraid..., it seems ...などをつければそれで十分。

 もう、おわかりでしょう。

 Kaz, you've made a mistake in your calculations.「カズ、計算を間違えてるよ」という表現は、観察に基づかず、推量に基づいいます。

 「カズが間違えた」のか否かという事実を確認していません。

 「自分はカズがこの計算をやったと思っている」という推量を自覚せず、勝手に決めつけています。こっちの表現のほうが主観なのです。

 I think...., I'm afraid..., it seems ...という表現は、「自分が推量している」という事実を客観的に見ています。

 「自分には、・・・のように見える」と言う方が、実際に起こっていることを客観的に認めた表現なのです。

 つまり、seems to を使い、「実際にはカズが間違えたかどうかは、わからない。使った電卓が故障していたか、別の人が代わりにやったのかも知れない。しかし、今、ここで自分にはカズがやったように見えている」ということが、客観的な表現です。

 へへへ、おもしろいでしょ。推量をしているとわかる動詞を出した方が客観的で、事実を述べたと思われる表現が主観的なのです。



 一般意味論のコージブスキーは、「事実だと思ってすぐに飛びついてはいけない。ちょっと、立ち止まって判断を遅らせなさい」と言いました。

 そして、自分が観察に従って、判断しているのか、観察をもとにした推量から判断しているのか、観察から思い出された過去の経験から来る単なる思いこみで判断しているのかを、考えなさいと言います。

 be動詞を使わない方がよいと言いました。

 be動詞を使うのは「AはAである」というアリストテレス的な断定の表現
だからです。

 現実に沿わない思いこみの断定を論理情動療法(REBT)のエリスは「狂気の発言」と呼びました。

 パールズはそのような思いこみを「ファンタジー」と呼びました。

 人間は、自分の外界を断定することはできません。すべて感覚を使って知覚し認識します。

 だから、I think, I'm afraid, it seems というように感じて考えていることを明示する表現のほうが事実に即しています。



 ですから、Kaz, you've made a mistake in your calculations.という表現は、事実の言及ではなく、主観の断定。狂気の発言です。

 逆に、Kaz, you seem to have made a mistake in your calculations.という表現は丁寧な表現ではなく、事実の言及で、正気の発言なのです。

 このような英語表現の狂気性に気づいたので、コージブスキーは”Science and Sanity”「科学と正気」を書いたのでしょう。


 このように、ありがたい一般意味論を、テレビ英会話を学習していた妻に教えてあげました。

 「あなた、最近、性格悪くなってない?」と言われました。

 とんでもない。

 わたしの性格が悪くなったことなどありません。

 もとから悪いのです。