さて、この「介助論」を読んで、どのように思いましたか?


「何となく、翻訳くさい」と感じた方は、鋭い方です。

 そうです。この論文は翻訳でもあるのです。

 しかし、純然たる翻訳ではありません。

 もちろん、「盗作」でもありません。

 実は、この論文のもとは、ジャズのベース奏者が、ほかの演奏者とセッション(合奏)するときの心構えを書いたものです。

 エド・フリーランドの書いたベース・ビルダーズ ジャズ・ベースという本に載っていました。

 その論文の中の、ベース奏者を「介助者」に、リード奏者(たいていはトランペット、サックス、ピアノなどです)を「被介助者」に、「自然な音の流れ」を「自然な動き」に置き換えて、書き直したものです。
 
 この論文(?)を読んで、「いい感じ」だと思った人は、被介助者と「動き」でセッションできるかもしれません。

 
動きの介助を芸術に高められる可能性を持っています。

 音楽は、人間の間に「いい感じ」をもたらす芸術です。

 介助することが、そんな「いい感じ」を双方にもたらすなら、こんなにすばらしいことはないでしょう。

 言葉は「言葉」でしかありません。

 この論文は読んだ人が、考えて実行したときに、「意味」をもち、「現実」になります。