言葉、イメージ、今ここで

 未来を「確定したこと」のように表現する言葉があるからといって、未来が確定しているわけではありません。

 未来が確定するのは、現在が続いていった後です。

 「今、ここ」で行なっているいることを忘れて、明日のことを考えてはいけません。

 明日の元となる「今、ここ」をおろそかにしては、明日を作れません。

 明日のことを考えて、「今、ここ」を捨ててしまっては、明日になっても、「今」を積み上げた「明日」ではありません。

 「今、ここで」、この一瞬、一瞬をぞんざいに扱う人は、結局「明日」もぞんざいに扱うのです。

 手に入らないイメージや「言葉の世界」の産物を追い求めて、人生を苦しいものにします。

 こんなことは、幼稚園のときに教わっていたのです。

 チルチルとミチルの「青い鳥」の童話を覚えているでしょう。

 子供たちは青い鳥を捜し求めて、結局青い鳥を自分たちの家で見つけました。

 この童話が教えるのは、自分の「今、ここで」がもっとも大切だということです。

 わたしたちは「今、ここ」でしか生きていられない存在なのです。

 大金持ちでハワイで遊んで暮らすことを想像することはできます。

 そうありたいと希望をもつこともできます。

 映画俳優に会って結婚する期待も持てます。
 
 しかし、それは「今、ここ」で現実の世界を感じ、その中で行動することの結果でしか得られません。

 そして、それはまだ確定していないことです。

 期待、希望という言葉は、良いものとして捕らえられていますが、上手に使わないと、「苦しみ」の原因となるかもしれません。