哲学者の最初はタレスだと言われます。
紀 元前600年頃の人です。
タレスは「物事の根源(アルケー)は水だ」と説きました。
アナクシマンドロスは「アルケーが水で
なんてアルケー。アルケーはアペイロン(無限なもの)だ。その一部が、有限なものとして形をとり、消えていくのだ」と説きました。
ピタゴラスは「アルケーは
『数』だ。数が世界を解き明かす」と説きました。
デモクリトスは「アルケーは目に 見えない小さな単位アトムだ」と説きました。
電子顕微鏡も、ポジトロンもない時代に、頭の中で物理的な正解にたどり着くとは、さすがに歴史に名を残す学者
だけあります。
しかし、あまりにも早すぎたので信用されませんでした。
当時、ギリシアではこのような知識人がいろいろな学問を教えていました。
ピタゴラス学派が「三平方の定理」で有名なように、数学も教えていました。
「真理」を問うのに最も簡単な学問だからです。
このような「上質な智(sophia)を好む
(philo)」ことがphilosophiaでした。
英語では philosophyとなり、日本語では哲学と翻訳されました。
哲学の本質は「上質な智を好むこと」ですから、哲学自体は教えたり教わったりする対象ではありません。
「哲
学は教えられない。哲学することは教えられる」と言われます。
最初に上げたタレス以後の人々はそのような哲学者でした。
上質な智(sophia)を求めて、いろいろなことを調べ、体験し、考えたのです。
そのうちにこのような智を知識として教えることで生活する人々が出てきます。
お金をもらって知識を伝授します。
ソフィスト(sophist)と呼ばれました。
もともとは「一芸に秀でた人」という意味でした。
当時の世界では、都市としてのポリスが栄えていました。
その市民権を得て、有力な政治家になるためには 他の市民を説得することが必要でした。
ソフィストは相手を説得する技術・方法、つまり「弁論術」を高額な料金を取って教えだしました。
現代ではソフィストは、口先だけで論理をごまかす人、 「詭弁家」ととらえられています。
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