ベイトソンはいろいろな学問に興味を持ち、研究しました。
「知の巨人」と言われたとおりです。
「知」にたいするベイトソンの熱意には無条件に敬意を表します。
ベイトソンは「学習」についても語っています。
学習には「一次学習」と「二次学習」があるというのです。
ここまで読んでいるということは、あなたは「体の感覚」のページを試したことでしょう。
あのワーク(体を動かして感じてみること)で、なにか新しい「感じ」を得たでしょうか?
もし、何も感じなかったならば、これ以降を読んでも楽しめないでしょう。
ごめんなさい。
「何かを感じた」という人は、「なにか」を学習しています。
新しい体験は、学習なのです。
その体験を記憶するだけでも、学習になります。
もし、その体験に「名前」をつければ、その名前によって体験を思い出すことができます。
新しい「記号」を手に入れられますから、表現力が増えます。
たとえば、共通のワークをした人に対して、「このお茶を飲むと、足もとからエネルギーが入ってきて、体が伸びる気がする」という表現ができます。
相手が共通の体験をしていれば、相手も自分の「感じ」を思い出して、コミュニケーションしやすくなります。
さて、そのように学習したのですが、「どんなこと」を学習したのでしょう?
確実に言えることは、「背骨をこのように動かすと、気持ちよくなる」というハウツーを学習しました。
でも、それだけでしょうか?
ベイトソンは、そのような直接的な学習を「一次学習」と呼びました。
もう一つ、確実に学習していることがあります。
でも、たいていの人は気づいていません。
あのワークで、気持ちよさを感じたとしたら、そのときには、「今まで、やったことのない方法で体を動かすと気持ちよくなることがある」ということを学習しています。
これをベイトソンは二次学習だと言います。
二次学習とは、「『一次学習で学習することができる』ということを学習すること」です。
「学習の学習」とも呼びました。
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