さて、ベイトソンに戻ります。
ベイトソンは、私たちの住んでいる「世界は2つある」と言います。
「物質の世界」と「情報の世界」です。前にも書きましたが、物質とエネルギーは同じです。
ですから、「物質の世界」は「エネルキーの世界」でもあります。
「物質の世界」は、簡単に理解できるでしょう。
今、あなたの座っている椅子や、たたいているキーボード、食べているポテトチップス、すべてが物質です。
それが「物質の世界」です。
では、「情報の世界」とは何なのでしょう?
「情報」は「違いのわかる違い」です。
大きさの違うリンゴが2個あれば、その「違い」は情報になります。
大きな力と小さな力があれば、情報になります。
同じ物質であるリンゴについて、「大きい」と「小さい」という「違い」が情報になります。
この「違い」という情報自体は、リンゴであるとか、モーターの力であるという、物質やエネルギーとは関係ありません。
私たちの周りには、このような情報でできた「世界」があります。
たとえば、ニュースという情報があふれています。
ニュースは、新聞で知ろうとも、テレビで知ろうとも同じです。
媒体という物質やエネルギーには依存しません。
おなじように、会話や、動作によるいわゆるコミュニケーションも「情報の世界」です。
気がつかれたでしょうか?これらはすべて「インタラクション」です。
「物質の世界」はシステムの要素から見る世界観です。
「情報の世界」はシステムのインタラクションから見る世界観です。
そして、システム理論で解説したように、システムの性質を決定するのは、要素の性質ではなく、インタラクションの性質です。
ですから、私たちが生きるのに、大きく影響を与えているものは、「物質の世界」ではなく、「情報の世界」なのです。
そして、インタラクションが「システムの精神」になるのなら、昔から言われてきた言葉、「ものに頼らず、精神を大切にしなさい」という言葉が、サイバネティクス的な「意味」を持ってきます。
ベイトソンはサイバネティクスの考えを、物質を分析して、バラバラにして追い求めた従来の科学ではない、全体を見る「科学」を求めたのでした。
さて、ベイトソンの話はこの辺で切り上げます。
詳しくは、「精神と自然」と「精神の生態学」を読んでください。
全部理解しようとしないことです。
わたしのように、自分の理解できるところを都合良く理解すればよいのです。
どうせ、人の頭の中のことなど、完全には理解できないのです。
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