認識と認知 2
 両方とも、「知ること」で、どっちも同じようなもの。

 認識の説明の1.の方が、認識論などの「認識」の説明に適合しています。
 
 じつは、この"re-"は「再び」という意味ではなく、「反対向きの」という意味です。

 returnは、「再度ひっくり返る」ではなく、「反対に向く」ということです。

 海外旅行した人なら、飛行機のreconfirmationをしたことがあるかもしれません。

 これは「再確認」ではなく、「(航空会社が予約客の乗る意思を確認するのが当然だが、予約客が)反対に搭乗の意思表示をする」という意味です。

 というわけで、recognitionは、本来、「反対向きに考えること」です。でも、実際にはどういうことでしょう?

 かつて、ラテン語で哲学を論じていた人たちは、「世の中には人間が知ることのできる『知られうるもの scibilis(ラテン語)=able to be known』がある。これが『知る者 sciens(ラ)=one to know』に知られるということは、『知られうるもの』から真理が『知る者』に与えられることだ」と考えました。

 あなたが、リンゴをリンゴとして認識することを考えます。

 リンゴは「知られうるもの」です。

 そして、リンゴには「リンゴである」という真理が入っているのです。

 リンゴはあなたに「リンゴである」という真理を与えるのです。

 あなたはその真理を受けとるのです


 そして、「ああ、これはリンゴだ」と知ることができます。つまり、リンゴであると認識したことは、リンゴから投げかけられたものを受けとった結果です。

 このように考えると、認識というものは、あなたの主体的な行動ではなく、対象があなたに働きかけた結果であると考えられるでしょう。

 つまり、recognitionは、受動的な状態の結果になります。

 認識論は心理学に受け継がれました。