わたし達が認識したと感じているものは、「外側の世界」で起こっていることの一部で、それも記憶の影響を受け加工されたものが大部分です。
「体の感覚」のページの体験で、今まで感じたことのなかったものを感じたとすれば、それは「選択・加工しないで感じること」でした。
実は、この加工は生きるのに役立っています。
画面から目を離して後ろを見て、また画面を見てください。
目が回りましたか?
そんなことはおこりません。
心理学では「恒常性」といわれます。
見ているものの大きさや、形は距離や視点が変わっても同じように感じられるのです。
画面から、目を離して後ろを向いたら、目に入る光景は激しく動いているはずです。
しかし、知覚する前の加工で、細かい画像に分解され、一瞬前の画像と比較されてしまいます。
そして、頭の中のイメージと比較されて、「感覚」が修正されて知覚されます。
だから、後ろを向いても目が回りません。ですから、目にはいる画像は流れません。
また、目を動かすと、視界が変化します。
その視界の変化でも目の動きが変化します。
フィードバックコントロールがかかっています。
さらには、感覚が受けた刺激が加工されるときに、記憶による影響が大きくて、感覚刺激を超えることもあります。
そうすると、感じていないものを、「知る」ことがあります。
「怖い」と思っていると、幽霊が「見える」かもしれません。
もちろん、本当に幽霊がいるのかもしれませんが・・・。
この感覚の加工は悪いことではありません。
もし、これをすべて停止したら、生きていることはできないでしょう。
大切なことは、「習慣的な加工」に気づくことです。
そうすれば、ありもしない感覚から来る「存在しない現実」に苦しめられることもなくなります。
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