習慣と習慣化した行動


 では、「習慣化した動き」を意識して、それを「やめる」ことがよいのでしょうか?

 フェルデンクライスは、チェインスモーカーであったことを、フランクから聞いたときに、私は驚き、不思議に思いました。

 なぜ、フェルデンクライスは、喫煙という「習慣」をやめなかったのか?

 フェルデンクライスは、「意識しないで行うこと」が、愚かだというのです。

 ですから、喫煙をしようと思って行うことは「習慣化した動き」ではありません。

 フェルデンクライスが生きていたら、きっと「習慣がいけないのではない。習慣的動きをしていることに、気づかないことが愚かなのだ。だから、習慣を意識して行うことは賢いことだ」と言うでしょう。
 
 「習慣化した動き」には、利点もあります。「速い」、「注意を奪われない」ことです。

 「注意を奪われない」ならば、ほかのことに注意を向けられます。

 自動車を運転するときに、ハンドルを握る手は、習慣的に動かしています。

 今、32度、回転させたなどは考えません。

 ハンドルに与える「注意」を、周りを見ることに注げます。

 大切なことは、「習慣化した動きをしているという気づき」を持つことです。

 「習慣化した動き」に気づけば、それをやめることも続けることもできます。

 どちらでも選べることが「自由」です。