エリスの論理情動療法

 人間の周りには、事実が連綿とつながって、現にある存在、「現在」を作っています。

 私たちは、その「現在」をそのままでは、認識できません。

 人間の能力の限界があるのです。その能力の範囲内で受け取ったもの、つまり「現在」を認識・解釈したものが「現実」として感じられます。

 この「現在」と「現実」の食い違いが苦しさの元になります。

 一般意味論で「外側の世界」と呼ぶものが、「現在」で、「内側の世界」が「現実」と考えると分かりやすくなります。

 その人が考えて解釈することで「現在」を抽象化し、言語化します。それが「現実」として認識されます。

 「現在」が先にあり、脳で考えやすいように「現在」の一部を抜粋し抽象化したものが「現実」です。

 「現在」、つまり現に存在するものが先で、言葉による思考=観念は後です。

 同じことが、実存主義では、「実存は観念(本質)に先立つ」と言われます。

 本質とは、実存とは関係なく、人間が勝手に「かくあるべきもの」を想像している観念だからです。

 事実を変えることはできませんが、自分がその事実に対して与えている「解釈」を変えることはできます。

 自分の生きている「現在」をありのままに認めて、「自分自身でいる」ことをすれば、苦しさから逃れられるかもしれません。

 もちろん、そんな苦しさを抱えていた人は、「自分自身でいる」という行動をとったことがありませんから、これは冒険です。

 しかし、もしこの冒険を終えて、自らの苦しさの元が、自分の非論理的な世界観、人生観にあることに気づけば、行動も変容し、非能率的なことをしないようになるでしょう。

 人間は自分の内側にあるものが行動を引き起こしていますから、外的基準で行動することは苦しいことです。

 社会の常識という言葉に踊らされると苦しくなります。