ライヒの性格分析

 本来の意味で、パウロは使徒ではありません。

 生きているキリストにしたがったのではありません。

 しかし、自ら、神から直接啓示を受けたのだと言って、使徒と名乗りました。

 そして、キリストの言葉を集め、聖書の作成に関わっていきました。

 それまでの使徒は、ユダヤ人の中にキリストの教えを広めていました。

 原始キリスト教と呼ばれます。

 パウロはユダヤ人以外にも広めようとしました。

 パウロは小アジア、マケドニアなどのローマ帝国領内に布教して回りました。

 ライヒは次のように言います。



 キリスト自身は、単に自由な人でした。

 自然に自由に生きることを実践していました。

 すなおに、感じたことを話しました。

 そのために弾圧を受けました。

 キリスト自身は「キリスト教」として布教したのではありません。

 しかし、パウロはキリストの人生を脚色し、教祖に祭り上げました。

 ライヒは、「キリスト教を広めたパウロが小人物なのだ」と言います。

 キリストが教えもしなかった「キリスト教」というものを作り、他の宗教を持っていた国へも布教をはじめました。

 原始キリスト教は、困っている同胞に手をさしのべていましたが、パウロは積極的に諸外国へ広げようとしたのです。

 「おまえたちが信じている神ではなく、私の信じるキリストを信じなさい」としたのです。



 ライヒは、パウロが使徒となってから、キリスト教には排斥する性質が入り込んできたと言います。

 パリサイ派のサウロとしてキリスト教を排斥・弾圧していたときの性質が、キリスト教徒のパウロとして他の宗教を排斥・弾圧する性質として残されたのです。


 キリスト教ほど、布教に熱心な宗教はありません。

 イスラム教、仏教、ヒンズー教は、教えを乞うてきた人に教えます。

 しかし、パウロの広めたキリスト教は、教えに行ったのです。

 こうして、キリスト教は攻撃、排斥という性質を持ったとライヒは考えました

 これが、十字軍、魔女裁判、搾取のもとになります

 キリストは弾圧されたのに、「キリスト教」が弾圧を始めたのです。


 小人物であったパウロは、自分の「想像上のキリスト」を聖書に書き込みました。

 パウロにとって望ましいキリストの行動のみを書き込み、小人物のパウロが理解できないものは書きませんでした。

 ですから、聖書の中に不可解なキリストの行動が書かれることがあります。

 それは、小人物のパウロの目で観察したことしか書かれなかったからだと言います。

 キリスト教徒は聖書の中から、キリストの本当の言葉だけを選りすぐって読めばよいのです。

 しかし、「キリスト教」の道徳観に染まった人々には、そんな読み方はできないのです。

 キリスト教会という組織を頼り、目に見えない罪から解き放たれることを求めるのです。

 キリスト教は、「これを守りなさい」という道徳を増やしていきました。

 人々のリビドーとともにある性衝動を悪行とすれば、悪いことをして免罪を求める人が増えます。

 生まれたときには無かった原罪を唱え、免罪をすることで、キリスト教は権力を持ちました。

 そして、政治に進出し、神ではなく、「キリスト教」が人々を支配しました。



 キリスト教会は、子供のうちから「性は悪いことである」という道徳を植え付けました。

 こうして、子供の中に生まれながらにして存在する「自由な自然」=キリストが殺されるとライヒは感じました。

 ライヒの言う「キリストの殺害」というのは、個人を抑圧する道徳を教え込んで、筋肉の固まった不自由な大人を作ることを指しています。

 そして、「キリストの殺害」の犯人は、キリスト教と、キリスト教に寄りかかり、苦しいと言いながら、自分は何もしない大衆だと言います。

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