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人間が生まれたときには、エスしかありません。
そのエスの中で、生きていくための「心のエネルギー」が作られています。
しかし、社会の一員として生きていくという自覚も制約もありませんから、道徳観念もなく、超自我はありません。
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赤ん坊が大きくなるにつれて、こどもになります。
家庭という社会に参加します。
家庭にも道徳があります。
エスだけだったこどもの中に、周囲から「道徳」が押し寄せてきます。
こどもの心の中に道徳原則がとりこまれ、超自我が発生します。 |
この超自我とエスは、それぞれ違う原則、快楽原則と道徳原則に従って行動しようとします。
当然、心の中で戦いが起こります。
これでは、生物として生きていくのに、不自由です。
こうして、エスは自らを守るために、その一部を変性させてクッションにします。
このようにしてエスの一部が変性して作られたものが「自我」であると、フロイトは言います。
超自我は心の中に取り込まれた外界からの「道徳」です。
「超自我」は元来、自分のものではありません。
エスは生まれたときから自分のものです。
しかし、「自我」は超自我と折り合いをつけるために、「エスの一部から作られたもの」です。
心の中の奥深くに、エスがいます。
その周りを、エスに作られた自我が守っています。
そして、自我の周りを「超自我」が守っているのです。
超自我は、自我の鎧でもあり、制約でもあります。
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