フロイト以後

 フロイトの弟子のウィルヘルム・ライヒは、精神分析にすばらしい才能を見せました。

 フロイト以上のフロイト主義者とと見なされるほどでした。

 「性格分析」という教科書を書き、絶賛されました。

 しかし、フロイトが後期には性欲の位置づけを軽くしたことに反発し、フロイトから離れていきました。


 エリック・バーンは、サイバネティクスと行動療法を取り入れて、エス、自我、超自我を対人関係の中でとらえ、Transaction Analisis を作りました。

 日本に入り、仏教思想が加わり、「交流分析」になりました。

 エスをこどものような心=C、自我を論理的な心=A、超自我を親のような心=Pとしました。

 人間の中には、P,A,Cの3つの心が存在すると考えました。

 P,Cはそれぞれ2つに分かれ、厳格な親=CP,優しい親=NP,聞き分けのよい子=AC,自由なこども=FCに分けました。

 このFCがフロイトの言うリビドーの産生場所です。



 アルフレッド・アドラーは、フロイトとともに深層心理学の立ち上げに関わっていました。

 しかし、フロイトの「性欲」ばかりを心のエネルギーとする考え方に反発し、分かれていきました。

 「精神分析入門」にはアドラーの考え方は間違いであるという旨の記述があるのは、そのような理由からです。


 ユングもフロイトと同じく、無意識に重点を置きました。

 夢の分析を重視することも同じです。

 でも、フロイトの考え方には賛成しませんでした。


 マズローは当初、フロイトに精神分析を学んでいましたが、自分のこどもの心は精神分析では理解できないと感じ、人間性心理学を作りました。

 マズローの欲求5段階説を見ると、リビドーを性欲に限定せず、社会の中の人間としての自分を確立するための動機をリビドーの座につけたことがわかります。



 ゲシュタルト心理療法のパールズは、精神分析を学びました。

 しかし、解決は分析医の分析の中にはなく、本人の中にあると感じました。

 分析をせず、本人が自分のしていることに気づくように関わっていくことが有効と思い、ゲシュタルト療法を作りました。

 


 このように、フロイトの作った精神分析の理論は、賛成反対の波を作り、現代の臨床心理学に大きな影響を与えています。

pre next