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イントロジェクション introjection

introjection
 自分の行動には基準があります。

 知識や体験を通して、自分で環境から取り込み消化したものが、自分の基準を構成します。

 外側の世界から、無理矢理内側の世界に基準を押しつけられたら、苦しくなります。

 自分の基準でないもので、行動を決めることはできません。

 子どもの時に、「早く部屋を片づけなさい!」と親に叱られたときのことを思い出してください。

 片づけようと思っていなくても、「今、やろうと思っていたのに」と文句を言ったでしょう。

 もし、そんなことを言わないよい子であったなら、今、自分が子どもにたいしてどのように言っているかを思い出すと良いでしょう。


 外部の基準を消化しないで、そのまま「丸飲み」することをイントロジェクションと呼びます。

 結果的に、外部の基準がそのままで内部に入っていますから、軋轢は内部で起こります。とても苦しい。

 自分はこれを積極的に飲み込んでしまったのですから、押しつけられたという自覚はありません。

 外部から押しつけられたときより、始末に悪くなります。

 消化できないものを飲み込んで、腹がふくれて苦しい状態です。

 周囲から、「よい子だ」と言われて、その評判を維持するために、社会の基準を無批判に飲み込んだ人が、このイントロジェクションで苦しみます。

 「私はナースなんだから、患者さんの傍らで苦しさをわかってあげなければならない」と苦しむ人は、自分の外側の世界の基準を丸飲みしているのです。

 「・・・してあげられたらうれしいな」というのが、「内側の世界」で言えることです。

 丸飲み(イントロジェクション)している人は、「私は・・・と思う」とか、「私は・・・と感じる」と言いますが、それは「社会の基準は・・・である」とか、「今まで、・・・と教え込まれている」ということでしかありません。自分で消化した考えではないのです。

 消化できていたらイントロジェクションではありません。

 消化していれば苦しくなりません。

 外側の世界の基準を消化すれば、「・・・するのが楽しい」と言うかもしれません。

 自分でこれに気づかないと、決して楽にはなれません。

 自分が楽になれない人は、他の人が楽になろうとすることを手伝えません。

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