排泄について

排尿、排便の介助について


 入浴について考察するだけでも、排泄について多くのことがわかりました。

 入浴についての「社会の文化」は、国によって、地方によっておおきく異なります。

 入浴の仕方についても、人により大きく異なります。

 排尿、排便については、入浴以上にデリケートな問題です。

 排尿、排便の話を公の場ですることは、禁忌です。

 場合によっては、犯罪にもなります。

 ですから、自分のやり方はとても良く知っているが、「他の人のやり方は全く知らない」のが当然です。

 同性についてもよく知りませんから、異性の排尿、排便は全くわかりません。

 排便や排尿にやり方は、育った環境である「社会の文化」のもとに押し隠されています。

 さらに「個人の文化」の秘密の中に隠されています。

 病院勤めの人々の中では、女性でも食事の席で、排泄の話を平気ですることがありますが、、一般の社会では禁忌です。

 ですから、排便や排尿のやり方を患者さんに質問するだけでも大変です。

 排便や排尿の介助の際にもっとも好ましい方法は、「できるだけ自分でやってもらうこと」です。

 できるだけ自分でやってもらって、患者さん自身ができないで困っていることを手伝うことです。

 患者さんは「こんな汚いことをごめんなさい」と言うかもしれません。

 「たいしたことありません」とか、「気にしないでください」と返すことが多いでしょう。

 でも、この言い方は、「本当は大変」、「本当は気にしている」と受け取られるかもしれません。

 お勧めは、

 「そう思うでしょう。でも、私はこういうことが得意なのですよ。やらせてください」

 です。


 「これはいい、このようにに話そう」と思ってはいけません。

 本心から思っていないことは、嘘になります。

 敏感に感じ取られます。

 大切なことは、「介助は患者さんと介助者の再学習の場を作ること」と理解することです。

 そうすれば、難しい状況ほど自分が学習できる場であることがわかります。

 そうしたら、言葉は自然に出てくるのです。


 結果を求めてはなりません。

 結果(Outcome)は後から来るものです。

 もし、あなたが患者さん、または被介助者と再学習をうまくできれば、それが最高の結果です。

 それは介助行為(=再学習)というプロセスをすべて消化した後に得られるものです。

 大切なことは、介助というプロセスの間、自分の行動に気づいていることです。

 自分が何をして、患者さんが何を返したかに、いつも気づいている人が介助という再学習を楽しみ、満足できます。

 それが、「いっしょに行動してたのしい」という感情に結びつけば、排泄の介助でさえも芸術的になるかもしれません(美術館に展示するものではないですが・・・)。