排泄について

お互いを学ぶこと


 「個人の文化」を十分に尊重しても、入浴しないかもしれません。

 このようなときは、なるべく避けたいことですが、いやがる患者さんを無理矢理にでもお風呂に連れて行くことになるでしょう。

 今の医療、介護の状況では、そういうことは起こります。

 じつは、このようなときこそ、「個人の文化」と「社会の文化」ということを理解していることが役立つのです。


 いやがる患者さんを無理矢理お風呂に連れて行って、洗っても介助者の心は晴れやかにはなりません。

 「無理矢理」という思いがあるからです。

 一種の罪悪感が生じるかもしれません。

 でも、今、自分のしたことを、「個人の文化」と「社会の文化」の違いのためであると理解していると、何をしたのかがわかります。

 今の時点では、相容れない二つの文化が競い合っていたのです。

 「個人の文化」に最大の尊敬を与えても、解決されなかったのです。

 それで今回は「社会の文化」を優先させました。

 もし、入浴で患者さんが「気持ちよい」と感じてくれたら、患者さんの「個人の文化」は変るかもしれません。

 そうなれば、次回はもっと友好的にできるでしょう。

 もし、患者さんの個人の文化が変らなければ、もしくはさらに強化されていたら、そのときは今回の入浴の仕方を反省しなければなりません。

 患者さんの体は自分の予想と違う反応をしたのですから、次回は自分の行動を修正する必要があります。

 自分の行動がひきおかした変化が返ってきます。

 返ってきた変化から行動を変化させることができます。

 このように結果をフィードバックして、自分の行動を変えることが「学習」になります。

 このように考えると、罪悪感で落ち込むこともなくなります。