アルバート・エリスの実践2


 アルバート・エリスが、自ら作った研究所の理事を除名されました。

 その経緯は、「アルバート・エリスの実践」に書いてあります。

 これは2006年5月19日に公開された理事会の手紙です。

 Albert Ellis Institute (AEI) の掲示板で公開されています。

 これで全貌が見えてきました。

 テレビドラマより、おもしろい話です。

 臨床心理学に一派を築いた心理学者にも、このようなことが起こるのです。

 普通の人の行動が思うとおりにならなくても、不思議ではありません。

注 アルバート・エリス研究所の舞台裏で何が起こっていることを知ることもなく、メンタルヘルス関係の著名人18人がドクターエリスを理事会へ戻すようにという嘆願書に署名しました。

 ドクターエリスは理事会に復帰しました。

 以下はそれらの18名に送られた手紙です。


拝啓

 最近、あなたはメンタルヘルスの著名人として、ドクターエリスを理事会に復帰させるようにとの嘆願書に署名なさいました。

 体は弱いにもかかわらず、精神的にはしっかりしているドクターエリスが理事会により除名され、自分自身の研究所での診療さえも禁じられたと伝えられたことでしょう。

 ドクターエリスが海賊と呼んだならず者が研究所の宝を我がものにし、空っぽにし、ドクターエリスが50年前に打ち立てた使命をねじ曲げようとしていると言われます。


 もし、私たち理事会が、あなたの立場で、こんなとんでもなく、心を引き裂くような話を聞かされたなら、あなたと同じように嘆願書に署名するでしょう。

 真実のために、もっと正確で事実に基づいた話をお知らせするときが来たと思います。


 ドクターエリスは、理事を個人的にも総称的にも、「裏切り者」、「恥知らず」、「ナチ」、「ファシスト」、「変態」、「ちんぴら」、「ぬすっと」と非難しました。

 これらの悪口のいずれも事実に基づいていません。

 私たちは変態ではなく、ぬすっとでも、海賊でも、その他のいずれでもないからです。

 実際は、ドクターエリスのほうに関わりがあります。

 ドクターエリスは、いつも自分に都合の良いように事実を曲げていたのです。例を挙げましょう。


 研究所の評判を気にして、そして、そうです、大衆が持っているドクターエリスに対するイメージにも注意して、私たちはこれらの中傷に反応することに躊躇していました。

 今までは、どんなにひどいことを言われても、理事会の使命は研究所、クライエント、患者、従業員、そして過去、現在、未来の練習生を守ることであると考えていました。

 今でも、そう考えています。


 ドクターエリスは1959年に大変なリスクをおいながら、研究所を設立しました。

 そして、心理療法の分野で定評を得ることに貢献しました。

 このような定評は彼のものです。


 しかし、今のアルバート・エリスという人については、ちょっと話が違います。


 当初、ドクターエリスは税金対策のために、研究所をNPOとしました。

 そして、自分の指示にメクラ判を押してくれる友人や関係者を理事にしました。


 時がたち、研究所は、「家内産業」を超えて実体のある存在になりました。

 これはドクターエリス自身が望んでいた研究所の姿です。

 ドクターエリスは、コロラドのキーストーンで行なわれた会議に参加しています。

 そこでは、ドクターエリスの希望に基づいて、ドクターエリスがなくなった後に、REBTをどのようにうまく存続させていくかが討論されました。


 しかし、そのときはまだドクターエリスお手盛りの理事会であったのですが、その理事会が将来構想を描き、その時々の問題についてドクターエリスの意見と違う考えを持つと、ドクターエリスとうまくいきませんでした。

 理事会は滅多にドクターエリスに逆らいませんでした。

 逆らう必要はなかったのです。

 ドクターエリスは理事会の間、ほとんど眠っていて、会議の議題にはほとんど注意していませんでしたから。


 ドクターエリスは、いつも、自分の希望に反対する意見は個人的な批判ととらえて邪魔しました。

 そして、出版社を通して、痛烈な反撃を加えました。

 そして、また、あなたのような外部協力者に連絡したのです。


ドクターエリスのやり方とは違いますが、ここに、恨みも何も持たずに、証明できるいくつかの事実をお示ししましょう。


 ドクターエリスの妻、デビー・ジョフィを尊重しなかったから、ドクターエリスが理事会に復帰したら、研究所のスタッフ全員を解雇すると、ドクターエリスは何度も言っています。

 研究所を破壊するとまで言っています。


 理事会はそんなことを許すわけにはいきません。

 研究所のスタッフは、みんなとても親切で、熱心で、忠誠心の強い人々です。

 最近の問題にも関わらず、本の販売は伸びていますし、クライエントの相談、トレーニング、実践訓練は実際に増加しています。


 理事が、理事会に残ることで何かを得ることはありません。

 優れた研究員や訓練生のトレーニングのために安全で高度に専門化された場所を提供するという使命がなければ、理事はすぐにでも辞めてしまうかもしれません。

 私たちは、この研究所を作り上げ、維持してきた人々を守る強い義務を感じています。

 全員、ドクターエリスにより、やとわれた人たちです。

 理事長さえも、ドクターエリスが雇い入れたのです。

 13年間、スタッフをしている人も数人います。


 アルバート・エリス研究所の理事であることは、やりがいがあるという以外の何ものでもありません。

 ロリー・スチュアートは、昨年の所長であり、18年間、理事でしたが、昨年、辞職しました。

 ロリーは、「覚えている限り、幸せだったと書き残して去った理事は一人もいない」と話しています。

 みんな、嫌気がさしてやめたか、ドクターエリスに無理強いされてやめたのです。

 ドクター ジャネット・ウォルフもそのひとりです。

 友としてドクターエリスと40年同居し、最後には、「ヒトラー」とののしられました。

 このことについては、理事会の公式記録に残されています。

 例外は、一人だけです。

 彼は妻の病気のために、研究所を去りました。


 研究所側の弁護士を追い出そうとして長い演説をしたときには、その弁護士が自分を道路に突き飛ばしたと言いました。

 ロリー・スチュアートが、

 「アル、彼女はどうやってあなたを道路に突き飛ばしたのですか?」

 と問うたときに、ドクターエリスは、

 「ええと、本当はそうじゃない。

 でも、他のことはすべて私の言ったとおりなのだ」と言いました。

 これについては、理事会の公式記録に残されています。(訳注 アメリカでは嘘は道徳的にも法律的にも宗教的にも重い罪です。)


 これらのことすべてを通して、理事会はドクターエリスを守ろうとしてきました。

 その例がひとつ、最近ありました。

 ニューヨーク・マガジンの中で、ドクターエリスが、「ドクター ミシェル・ブローダーが死ねばよいと思う」と公言したのです。

 この発言をきっかけに匿名の脅迫状が届き始めたので、理事会はドクターエリスの身辺警護処置をすることになりました。

 その記事の中で、ドクターエリスは、「かつて患者だった人と寝たことがある」と放言していました。

 ニューヨークマガジンにコメントを求められて、当時の理事長ロリー・スチュアートは、今紛糾している問題ではなく、ドクターエリスが心理学に果たした貢献に焦点を当てるべきでしょうと諭しました。


エリスという人物が果たした貢献と、今日のドクターエリス個人とは分けて考える必要があります。


 研究所が巻き込まれている現在の問題は、オーストラリアからデビー・ジョフィがやってきたときに始まっています。

 デビーの弟のマックスは、老画家を監禁し、200万ドル相当の作品を奪ったとして、3年の禁固刑を宣告されています。


 ジョフィーは研究員兼ドクターエリスの助手として研究所に来ました。

 信用を増すために、インドのメールオーダー大学から350ドルで、学士号を購入していました。

 ジョフィーが到着するとまもなく、インターンのうちに、ドクターエリスと親密な関係になりました。

 もちろん、これはプロとしての倫理に反します。


 ジョフィーはドクターエリスとの関係を利用して、スタッフや練習生の間を仲違いさせようとしました。

 しばしば、研究所に言って解雇させると脅したのです。

 クライエントや練習生に影響するような非道徳的な行動をしたと言うことで、セラピストとして失格です。

 このことや、その他の不満足なことがあり、理事長のミシェル・ブローダーはジョフィーを解雇しました。


 ドクターエリスをのぞく理事会の臨床系理事全員が、解雇に賛成しました。

 その当時、セラピストの資格を持つ臨床系、事務系のすべてのシニアスタッフも全員、賛成しました。

 この決定に加わったもの全員が、不本意ながらも、メンタルヘルスの専門家として、クライエントを守るという義務を果たすための手段が必要だということに合意しました。


デビー・ジョフィーが解雇されたとき、ドクターエリスは宣戦布告を考えたようです。


 ジョフィーが解雇される前に、ドクターエリスは当時の理事長に対して攻撃を開始していました。

 その理事長がジョフィーと対立していたからです。

 その理事長は、ドクターエリスのために90歳の誕生パーティーを主催しました。

 そして、その翌日に解雇されました。

 予告もなく、法により定められた手続きも踏まれませんでした。

 つまり、理事長は弁護士に相談する機会もなかったのです。

 予告や手続き、弁護士こそ、ドクターエリスが理事会から除名されたときに要求したものなのですが。

 ドクターエリスは副理事長や秘書にさえ、その欺瞞に満ちた攻撃を知らせていませんでした。

 賛成しないとわかっていたからです。


 明らかなパターンがあります。

 ドクターエリスを長い間、満足させられる人はいないのです。

 何か悪いことをしようと、しなかろうと、ドクターエリスは自分が好きだった人を独断的に、辞職に追い込むのです。

 しばしば、他の理事が降参しドクターエリスを指示する側に回るまで、怒鳴り、怒り狂い、脅しさえするのです。


 ドクターエリスの攻撃により理事長が辞めさせられた後、ドクターエリスは優秀で評判の良いフィラデルフィアのミシェル・ブローダー氏を臨時の理事長として招き入れました。


 ドクターエリスが、ブローダー氏に襲いかかるのに時間はかかりませんでした。

 今までの理事長の時と同じでした。

 しかし、今度は特別でした。

 ミシェル・ブローダー氏が信じられないことをしたからです。

 ドクターエリスと同棲していたデビー・ジョフィーを解雇したのです。

 そして、スタッフと訓練生に、ドクターエリスのトレードマークとなっているいじめに屈しないようにと指示したのです。

 私たちスタッフも経営に必要な行動もいつでも確固たるものですし、そのように維持されています。


 そのときから、理事会の会議はドクターエリスの一人舞台となりました。

 ジョフィーの解雇に指示した理事に対する怒りと非難をわめき散らしたのです。

 ここは「自分の」研究所で、自分の好きな人間を雇い、自分の好きなように運営したかったのです。


 思慮深い理事たちを脅すことができないとわかると、ドクターエリスはジェームズ・マクマホン氏を「裏切り者」と非難しました。

 アン・バーノン女史が理事会の多数派に付いたので、「臆病者」とののしりました。

 そして、所長のロリー・スチュアートを「操り人形」と呼びました。


 ちょうどそのとき、財務省が注意すべき異常を見つけました。

 ドクターエリスが2004年に30万ドルを受け取っているというのです。

 これは理事会で認められていました。

 しかし、さらに20万ドルが研究所の口座からドクターエリスの個人口座へ、研究所の帳簿に載せられることもなく、理事会に知られることもなく移されていたのです。


 このことを指摘されて、ドクターエリスは当初、2002年に研究所に貸し付けたものだと主張しました。

 しかし、その主張を裏付ける記録は残されていませんでした。

 そこで、ドクターエリスは態度を変えました。


 ダニエル・クルツと名乗る弁護士が参加しました。

 自分はこの分野のエキスパートだと言っていました。

 ニューヨーク検察局のNPO部門に勤めていたと言いました。

 理事会は信用に足る人物だと見ました。


 クルツは、財務局の年末調査報告を調べ、研究所のNPOとしての立場を守るために、1.すぐにドクターエリスをすべての権力ある地位からはずすこと、2.超過利益の返却を求めることの2つを行なうほかに選択の余地はないと言いました。

 そのようにしなければ、理事たちが実質的損害を補填するように求められるかもしれないと言いました。


 「エキスパート」の弁護士が言っていることを信用して、理事会はその意見に従いました。

 実はこれは、そのときの理事会ができる中で最悪の選択でした。

 先日、ドクターエリスは自分への告発に対して、1週間の猶予期間が与えられるべきであった、弁護士が同席することを許されるべきであったと判決が下されました。

 この件についての権威が教科書に書いてあるとのことを、判決の中で指摘したときに、私たちはこのことを初めて知ったのです。

 権威?

 私たちの雇った「エキスパート」の弁護士、クルツは何だったのでしょう?

 即刻、クルツを馘にしました。


 ドクターエリスは未だに理事会の中で採決権があると判決が下されました。

 理事会がするべきことについて、自分たちの弁護士からの誤ったアドバイスに従ったことが、ドクターエリスを利することとなりました。

 ドクターエリスを除名する基礎はかわりません。

 倫理に反することは明らかなのです。

 しかし、理事会は法的手段を誤りました。ドクターエリスを除名する根拠は依然として変わりませんし、必要なら法廷闘争もできます。


 デビー・ジョフィーの解雇に引き続いていざこざが起こってからしばらくして、理事会はドクターエリスと交渉に入りました。

 弁護士が仲介して、交渉がまとまりかけたのは、3回あります。

 弁護士費用は90万ドルに登りました。しかし、合意に署名する段になると、いつもドクターエリスは要求を2倍、3倍につり上げました。


 ライル・スチュアートが入ってきました。

 ライルはロリー・スチュアートの父親です。

 ライルはエリスをよく知っていて、50年以上も友人であり支持者でした。

 「罪なき性」などのドクターエリスの古典の出版をしていました。

 ドクターエリスが65丁目のマンションを購入しようとしたときには、ドクターエリスの給料では足りなかった分、1万7000ドルを出世払いで貸していました。


 長年にわたり、ドクターエリスは、「ライル・スチュアートと私はお互いのためにいろいろとやってきたんだ」と言っていました。


 数ヶ月前に、ライル・スチュアートと妻は、ドクターエリスとデビー・ジョフィーの新婚家庭を訪問しました。

 そのときに、理事会が研究所の建物を売りに出して、ドクターエリスをその中から追い出そうとしてるので困っていると言いました。

 ドクターエリスは証拠を持っていると言いましたが、結局それを見せることはありませんでした。

 証拠はないのです。

 その建物が売りに出されたことは一度もないからです。

 まして、理事会が「権力闘争」をして、研究所やその財産を乗っ取ろうとしたこともありません。

 これは全くの空想ですし、それはドクターエリス自身が知っています。


 数週間後、父のライルがロリーに 「どうして、理事長を辞めないんだ?」と問うたときに、 ロリーは、

 「僕はやめたい。しかし、スタッフの人たちを見捨てることはできない。

 スタッフには、理事会での僕の投票権が必要なんだ」と説明しました。


 それから、約1年間、ドクターエリスはライル・スチュアートに理事会に入るように説得しました。

 ライルは、息子に「理事会に入ったらどうなるだろう?」と問いました。


 「それはいいと思う」とロリーは言いました。

 ライルは、「私はアルをよく知っているし、この問題をうまく解決できるかもしれないと思う」と言いました。


 ドクターエリスに個人的に求められて、ライル夫妻はドクターエリスを再訪しました。 ライルは

 「アル、議論のために2つの基本的ルールを守ってほしい。

 まず、1つめは研究所は既に君の弁護士に13万ドル支払っている。

 そして、研究所は君の弁護士にこれ以上、1セントも払うつもりはないということだ

 (理事会は自分たちを訴える弁護士に支払うつもりはないのです)。

 2つめは、もし君が誰かをののしり非難し始めたら、私たちはここから出ていくということだ。」

 と警告しました。


 このことが了解されたので、ライルは話を続けました。

 「アル、自分のほしいものを正確に言ってくれ。

 ほしいものすべてだ。

 それを理事会からとれるように闘ってみよう。

 私は君の代理人かつ擁護者となろう。」

 ドクターエリスはリストを作り始めました。

 最初の4項は妻のデビー・ジョフィーに関することでした。

 ライルは慎重に書き写し、すべての項目に番号を付けました。

 「アル、数日、余裕をみよう。

 このリストを眺めて、君のほしいもので書き落としたものを教えてくれ。

 すべてを取ることはできないかもしれない。

 しかし、たいていのものは取れるだろう。

 そして、1時間話し合うのに1250ドルも取るような弁護士はいらないぞ。」


 3日後に、電話で話した後で、ドクターエリス夫妻は要求の漏れていた分をライルにemailしてきました。


 ライルの妻は、それをタイプし、ライルはドクターエリスの要求した21項目について詳細に検討をしました。

 2時間かかりました。

 ライル・スチュアートが付け加えたのは、一つでした。

 仲直りのパーティを開き、そこでドクターエリスとデビーと理事会が握手し、調停にサインすることです。

 難しいことですが、できないことではありませんでした。


 ロリー・スチュアートは特別理事会を招集しました。

 ライルから22項目の要求が示されました。

 ほんの数項目が修正されました。

 ドクターエリスはジョフィーに管理室の鍵を持たせることを求めていました。

 理事会は、ジョフィーが理事会に反感を持つ元従業員であり、鍵を持つ必要もないと考えました。

 ドクターエリス専用の2階のオフィスをドクターエリスの要求した物品を充足させることにしました。


 ライルは理事会と議論した後で、ドクターエリスと電話で、理事会の修正を含めた22項目について90分話しました。

 ドクターエリスが理解して了解したと言うまで、デビー・ジョフィーがすべてのポイントについてドクターエリスに繰り返して伝えることも、何度かありました。


 数日後、ドクターエリスがスチュアート側の弁護士に合意書を作成させたいと言っているとデビー・ジョフィーから電話がありました。

 うまくいったのです!


 すべては順調に運びそうに見えました。

 理事会の新しい弁護士、デービッド・ブラスバンドはドクターエリスの弁護士、ロバート・ジューセウムと会うことになりました。

 交渉が終わりました。

 弁護士たちは必要とされる修正をちょっと加えなければならないだけでした。

 平和解決は近づきました。


 二人の弁護士が会ったときに、2005年の3回の示談交渉と同じことが繰り返されました。

 理事会はドクターエリスの弁護士に1セントも払うつもりはないと言ってあったのにもかかわらず、ドクターエリスの弁護士は25万ドルの費用を要求してきたのです。

 交渉の対象だと言いました。

 もし、理事会がこの交渉に応じなければ、合意はないと言いました。

 また、ドクターエリスと理事会が合意していた50万ドルの代わりに75万ドルを払わなければ、合意できないというのです。


もちろん、合意しませんでした。


 アルは、すぐに自分の信奉者たちにでっち上げを話しました。

 ライル・スチュアートがなんの説明も議論もなしに22項目を押しつけてきたと話しました。

 和解パーティーの項目をのぞいては、22項目すべてがドクターエリスの提案であるという事実を一言も話しませんでした。

 22項目について3回も話し合ったことも一言も話しませんでした。

 今や、このような「事実のねじ曲げ」はエリスの得意芸となったようです。


 今まで、ドクターエリスに対して甚だしく名誉毀損された人々は行動を起こすことを控えていました。

 ドクターエリスは理事を、特にミシェル・ブローダー氏とジェームズ・マクマホン氏を個人的に攻撃してきました。


 ドクターエリスを傷つけることは理事会の願いではありません。

 ドクターエリスと彼の妻、支持者から流れるように発せられる偽りの訴えとは逆に、「研究所を支配する」、「財産を盗む」、「かわいそうなドクターエリスを墓場に押し込む」ことに理事会の興味はありません。

 理事会は研究所を強固に維持するために働いています。


 ドクターエリスは、そんなことは絶対に起こらないだろうと強く言い張っていましたが、ドクター・ブローダーは、この争いから個人的な問題を払拭するために、2005年11月28日に理事長を辞職しました。

 他の理事の求めにより、ブローダーは普通の理事として残り、ドクター・マクマホンとともに、変わらぬ偽りの中傷・非難の対象になっています。


 この泥絵のような状況に「私たちの側」への窓を開きたいと思います。

 ドクターエリスと支持者が理事会に投げつけたすべての非難にもかかわらず、理事会は公式にはドクターエリスを攻撃も辱めもしていません。

 ドクターエリスと妻が取った行動が、ドクターエリス自身と研究所の今おかれている聞きを作り出していると言ってもです。


私たち?この手紙をおもしろく締めくくるものとして、ドクターエリスが研究所を支えるスタッフと理事会を表した言葉をお示ししたいと思います。


 「研究所は数人の馬鹿者でできている。

 私とデビーを巻き込んだ脳なしの不埒ものだ。

 そんなものは嫌いだ。

 なぜ、好きにならなきゃならない?

 大ッ嫌いだ。

 話を元に戻そう。

 しかし、『あいつらはあんなことをすべきでなかったんだ』とは絶対に言わない。

 彼らはそうすべきだったんだ。

 そんなやり方をするように生まれ、育って来たんだから。だから、私は彼らを受け止めて、取り乱さず、彼らをおそれることもしない」


 このような状況をお考えに入れていただければありがたく存じます。

 私たち、理事会の見解が健全なものかどうかご判断ください。

 ライル・スチュアートはドクターエリスの50年以上にわたる知己です。

 ジェームズ・マクマホンは40年以上です。

 ミシェル・ブローダーは30年以上。

 アン・バーノンは理事として7年。

 ロリー・スチュアートは理事として18年になります。

 私たち理事会はアルバート・エリス研究所の創立者にフェアであるとともに、NPOとしての研究所に最大の利益をように努める義務を真摯に行なおうと思います。

 ご意見をいただければ、うれしく思います。

敬具

アン・バーノン
ジェームズ・マクマホン
ミシェル・ブローダー
ライル・スチュアート