地図は現地のすべてを表していない

 自分の好きな俳優を思い浮かべてください。

 その容姿やしぐさを、思い出せるままに記述してください。

 もし、ビデオを持っているなら、再生しながら記録してもよろしいです。

 すべてを記録できましたか?

 特徴をすべて列挙できたでしょうか?髪の色は?瞳の色は?肌の色は、顔と腕では違うでしょう?

 眉の形、長さ、唇の形、頬の具合、肩の形、腕の長さ、肘の張り具合、体幹の形など、細かく書いていくと、どんどん項目が増えます。
 
 しぐさはどうでしょう?

 どの映画のときにどんなしぐさをしたでしようか?

 どんな演技が好きですか?どんなせりふが魅力的だったでしょう?

 その俳優のどんなことを知っているでしょう?

 あなたがすべて知っていたとして、そのすべてを記述できるでしょうか?

 それをほかの人が読んで、誰のことか、わかるでしょうか?

 私にはできません。たぶん、多くの人もできないでしょう。

 もし、記述できたとしても、それは一時点の姿です。もし、その人を書き表せといわれたら、大河小説ができるでしょう。

 小説を書き終わっても、その俳優のすべての人生を言葉にはできません。

 人間は言葉で表現するには複雑すぎる、と言うよりも「言葉」という手段の持っている表現能力が、あまりにも小さいのです。

 「言葉」は現実のものを「一般化」します。一般化されて「言葉」となった「現実」は個性を失います。抜け落ちていくものがいっぱいあります。

 言葉は「そのもの」のすべてを表しません。