「感じる」と「考える」

 「内側の世界」で感覚が邪魔されるのは「考える」からです。


「感じる」と「考える」は違うものです。

考えるためには「言葉」を使います。

ヴィゴツキーの内言論」を読んでからここに来た人は、よくわかるでしょう。

 読んでいない人は、後から必ず読んでください。

 すなおに、あるがままに感じてから、それを材料として考えるのが自然です。

 しかし、多くの人は「このように感じるはずだ」と思いこんで「感じたと考え」ています。

 「内側の世界」で「感じた」ものが、内側の「言葉」、つまり今まで持っている「内言」で考えたものと置き換わります。

 こうなると、新しく感じた「外側の世界」の体験の正確なイメージが「内側の世界」に作られません。

 「内側の世界」と「外側の世界」が食い違えば、「生きる」のが苦しくなるでしょう。

 これに警鐘を鳴らすのが、「体の感覚」で紹介したセンサリー・アウェアネス、アレクサンダー・テクニーク、フェルデンクライス・メソッド、そしてキネステティクスです。