ここでもすでに、白い皮膚ができています。その周囲の暗い色の古い皮膚は先ほどの写真と変わりません。
すくなくとも、この写真から後の時期では、この白い皮膚は肉芽に引っ張られて伸ばされていくように見えます。
また、創の底にスラフがありますが、そこの肉芽はもりもりして元気そうです。
創の縁の肉芽も力強い。
この褥瘡は病気でしょうか?
この褥瘡は現在、元の皮膚に近づこうとしています。
この褥瘡ができていなかったころを、標準状態と考えてみましょう。
すると、褥瘡ができたときは、体のシステムがうまく機能しなくなった状態です。
ですから、皮膚の統合性が障害されました(この表現が気に入らない人はNANDAに文句を言ってください)。
わかりやすくすると、皮膚の良い状態を維持できなくなりました。
原因はなんであろうと、システムの失調が起こり、構成要素である皮膚を喪失しました。
構成要素を喪失したときは、機能低下していきましたから、状態としては下に向かって行きました。
「病気」と言ってよいかもしれません。
しかし、現在はその状態から上に向かっています。
標準状態のときには、維持しているだけです。
しかし、この写真の状態は普通を維持していたときより高い能力を発揮しています。
この写真の褥瘡は病気ではありません! 普通に健康なときより、もっと力強い状態です。
褥瘡の一時点の色や形で生体システムの機能を評価することは間違いです。
その褥瘡の経時的変化をみて、プロセスを観察することで、システム全体の機能がわかります。
褥瘡を評価するツールがたくさん出ています。
たくさん出ているということは、決定打がないということです。
なぜ、決定打がないのかというと、システムのプロセスを評価するのに、一時点の観察で評価しようとしているからです。
もちろん、この肉芽の写真を見れば、これがこのままの管理法で十分なことは評価できます。
しかし、それはこの写真の肉芽や皮膚の形や色ではなく、同じような症例を体験して知っているからできるのではないでしょうか?
経験のないドクターやナースに写真だけを見せて、この色と肉芽の形ならこのように評価すると教えても、うまく評価できません。
創傷治癒のプロセスを体験から学ぶことを教育しなければ、技能の教育はできません。
褥瘡の評価は知識ではなく、技能の教育です。「目を養う」というのはそういうものです。骨董の目利きと同じですね。
話がそれました。これがこの項の主題ではないので、次にいきます。
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