両方とも、「知ること」で、どっちも同じようなもの。
認識の説明の1.の方が、認識論などの「認識」の説明に適合しています。
じつは、この"re-"は「再び」という意味ではなく、「反対向きの」という意味です。
returnは、「再度ひっくり返る」ではなく、「反対に向く」ということです。
海外旅行した人なら、飛行機のreconfirmationをしたことがあるかもしれません。
これは「再確認」ではなく、「(航空会社が予約客の乗る意思を確認するのが当然だが、予約客が)反対に搭乗の意思表示をする」という意味です。
というわけで、recognitionは、本来、「反対向きに考えること」です。でも、実際にはどういうことでしょう?
かつて、ラテン語で哲学を論じていた人たちは、「世の中には人間が知ることのできる『知られうるもの
scibilis(ラテン語)=able to be known』がある。これが『知る者 sciens(ラ)=one
to know』に知られるということは、『知られうるもの』から真理が『知る者』に与えられることだ」と考えました。
あなたが、リンゴをリンゴとして認識することを考えます。
リンゴは「知られうるもの」です。
そして、リンゴには「リンゴである」という真理が入っているのです。
リンゴはあなたに「リンゴである」という真理を与えるのです。
あなたはその真理を受けとるのです。
そして、「ああ、これはリンゴだ」と知ることができます。つまり、リンゴであると認識したことは、リンゴから投げかけられたものを受けとった結果です。
このように考えると、認識というものは、あなたの主体的な行動ではなく、対象があなたに働きかけた結果であると考えられるでしょう。
つまり、recognitionは、受動的な状態の結果になります。
認識論は心理学に受け継がれました。
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