わたしたちは、サイバネティクスシステムです。
内部で様々な「情報」が行き来して、システムを維持しています。
その情報は、「違いの分かる違い」なのです。
発生と同時に、DNAの配列の「違い」が情報として使われます。
DNAの配列がまったく同じ人間には、遺伝的「違い」はありません。
神経の末端=シナプスではアセチルコリンなどの化学物質が出て、隣の神経を興奮させます。
一個の神経につながっているシナプスはたくさんあります。
どれか一個が興奮すると、それを受けた細胞がすぐ興奮するのではありません。
一個のシナプスの興奮では、電気的刺激は少ししかありません。
いくつかのシナプスが同時に刺激を与えることで、ある値(閾値)以上に電気刺激が高まったときに、それを受けた神経が興奮します。
閾値以下のシナプスの興奮は、「違い」を作れませんから伝達されません。
ですから、神経を伝わる情報は「違いの分かる違い」になっています。
ホルモンでも同じことです。
このようにして、いろいろな情報が伝わったり、途絶えたりしてシステムは生きています。
情報は「違い」で伝達されます。
「違い」がなければ情報になりません。
「他と違う」ことが情報ですから、違っていることは重要なことです。
同じことに情報はありません。
意見を聞かれて、「他の人と同じです」と言うのは、情報としての存在価値がありません。
人と少しでも違うことを感じたり、言ったりすることが重要な情報を相手に与えます。
また、「学習」も「違い」でおこります。練習として同じことをくり返すことは無意味です。
違うことをしてみることが、「学習」の元です。
うまくできるときと、うまくできないときの「違い」を知ることで学習できます。
ですから、「失敗は成功の母」と言われます。
うまくいかなかったときに、うまくいかせない「違い」に気づくことで、学習します。
「試行錯誤」はでたらめに行なうことではありません。
誤りを起こす「違い」に気づくことで、うまくできるようになることです。
ベイトソンは stochastic(ストカスティク) と呼んでいます。
stocahstic に行なうことで、誤りを起こす「違い」に気づき、それを避けることでうまくできるようになっていきます。
従来より、飛躍的にうまくできたとき、「発見」します。
これが発見的(heuristicヒューリスティク)学習です。
ある程度の知識をいれて、実際の運用はその知識を基準に対処させ、想定していないことが起こったときにも自ら判断して対処する方法は、発見的です。
コンビニのマニュアルのように、「この場合はこうする」と、場合分けしてきっちり決めることをアルゴリズムと言います。
コンピュータのプログラムはアルゴリズムです。
コンピュータはアルゴリズムで判断できますが、ヒューリスティクにはできません。
人間はアルゴリズムで、マニュアルに縛られると苦しくなります。
ヒューリスティクに行動する方が自然です。
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