目覚めていること


 センサリーアウェアネスでは、食器を洗う、食べる、においをかぐ、ものにふれたりするときにも、そのときに自分が感じていることを意識できるようにします。

 北海道から東京に行くときに、あわただしく飛行機に飛び乗り、羽田に着くことだけに気を奪われ、自分が歩いたり、バッグを持ったり、お茶を飲んだりしていることを、「感じ」なければ、その時間は自分にとって「存在しない」と同じことです。

 その時間は死んでいると同じです。

 もし、歩いたり、お茶を飲んだりしているときに、自分が何をしているのか、何を楽しんでいるのか、何を味わっているのかを知っていれば、その瞬間、瞬間を「生きている」ことになります。


 100年生きても、何も感じずに、過ごすことと、瞬間、瞬間に「目覚め」ながら、20年生きることを考えたら、どちらがよいとはいえなくなります。

 私は若くして亡くなる人がいても、「かわいそう」とは言いません。

 その人が生きているときに、どのように「目覚め」ていたかは、知るよしもないからです。

 「若くして死んだから、かわいそう」というのは、「習慣化した行動・判断」かもしれません。