わたしは鬱である

 そうだ! わたしは鬱の他に、不幸な人間でもある。


 先ほども、この原稿を書こうと思い立ち、居間でノートパソコンを取り出した。

 二階の書斎に行けば、デスクトップコンピュータがあるのだが、二階に上るのもおっくうなほど、鬱なのである。

 居間のテーブルにノートパソコンを載せ、電源をコンセントにつなごうとすると、コードが短くて届かない。

 テーブルがコンセントから遠いのだ。

 同じテーブルで新聞を読んでいた妻に、「このテーブルをコンセントに近づけたい」と言った。

 すると、「そこにずらすと、キッチンから出てきたときに、邪魔になる」と妻が言った。

 わたしは不幸である。

 ちょっとテーブルを動かすことも許してもらえない。

 わたしは些細な抵抗を試みる。

 「キッチンからまっすぐ居間に出てこようとするから、テーブルの位置で苦しむことになる。

 苦しませているのはテーブルではない。

 『まっすぐに出てこよう』という固定した発想である。

 幸いなことに、この家は設計した人が大変気のつく人(わたしである)である。

 キッチンから居間に出てくるのには、他の選択肢が作られている。

 まず、キッチンからドアを通り洗面所に抜けることができる。

 その洗面所から、右側のドアを通り、トイレの前から玄関に出ることができる。

 玄関からまた右に曲がりドアを開けると居間にでる。

 すばらしい設計だ。

 回廊式と名前がついているくらいだ。

 さらに、もう一つの選択肢を忘れてはならない。

 この家のすばらしい設計者(わたしである)の配慮のおかげでキッチンには勝手口がついている。

 勝手口から裏庭にでることができる。

 裏庭から外壁に沿って右回りに歩くと、玄関に出る。

 玄関から入ってくると居間はすぐそこにある。」