わたしは鬱である


 「どうして、わたしが鬱でないというのだ。

 わたしは医者の免状を持ち、患者さんに検査結果を教える仕事をしているくらいだから、鬱という診断をすることができる。

 そのわたしが鬱だといっているのに、理解されない。

 これでは鬱になっても不思議がないでしょ」

 「でも、そんなことを考えてしゃべっているんなら、仕事はできるでしょ」

 「そのように『仕事をさせよう』という周囲の意図が、鬱を悪化させるのだよ。

 なぜ、『大変ですよね。それじゃぁ、今日はやめにしましょう』という優しい言葉が出てこないのか?」

 「何を馬鹿なこと言っているんですか?そんなことしたら、誰が仕事をするんですか?」

 「ほら、ほら。そのように仕事を中心に考えるから、苦しくなるんだよ。

 その仕事中心主義が人々を苦しめて、人間社会を機械的なワンパターンに押し込めて、人間疎外の社会を作っているのだ。」

 「はいはい、大変ですね。早く始めましょう。」

 「あーっ、なぜ、もっと自由に発想できないのか。

 『それじゃあ、今日の書類は全部シュレッダーにかけてなかったことにしましょう』ということもできるだろうに。」

 「馬鹿なこといっていないで、さっさと仕事してください。」

 このようにわたしは自分が鬱でありながら、それを認めてもらうこともできずに、仕事をさせられている。

 不幸だと思う。