オストメイトと医療者の心理
市立士別総合病院 診療部長 澤口裕二
この講義では、従来ストーマケアでは紹介されていない心理学のストーマケアへの応用を紹介します。
基本は、フレデリック・パールズのゲシュタルト心理療法、アルバート・エリスの論理情動行動療法です。
それにエリック・バーンの交流分析、ロジャースのクライエント中心療法、マズローの人間性心理学、フロイトの精神分析が加味されています。
本日のテーマ
人間は自分の心さえも十分に理解できない。 他人の心は絶対に理解できない。 でも、もしちょっとでも理解されたように感じたら、とてもうれしい。 もし、ちょっとでも、理解したように感じたら、とてもうれしい。 理解できなくとも、仕方のないこと。 |
「フィンクの危機理論」にさようなら。
フィンクの危機理論は、「予測していなかった危機に面したときの人間の反応」についての理論です。
予定手術のストーマ造設を「予期していなかった危機」にするのは、医療のプロのやり方ではありません。
「危機理論にさようなら」するためには、術前の「時間」を充分に与えることです。
ゆっくり来るものは「予測していなかった危機」ではありません。「不本意な現実」です。
時間は、医療者の説明のために使われるかもしれません。
または、本人が納得するために使われるかもしれません。
エリック・バーンを源流とする交流分析では、「愛情は時間で計られる」と言われます。
クライエントに必要充分な時間を与えることは、医療の第一原則です。
「受容」の存在は保証されません。「受容」を求めると不幸になります。
あなたが、「ストーマの受容」を目的または目標にしたとたんに、クライエントの選択は限定されます。
「死ぬまで受容しない」ということが認められていないからです。
現実には、「受容」できないままに死ぬクライエントがいます。
また、ラッキーなことに「受容」できたクライエントは、受容できるまでは、「受容できない」クライエントでした。
「あなたは受容しなくても良いですよ」と言えば、クライエントは自分の意志で自由に「受容」できます。
クライエントの自由な選択を侵してはいけません。
アルバート・エリスが説くところです(哲学なら実存主義)。
もし、あなたがラッキーなことにオストメイトになったら、ストーマを「受容」できますか?
私には確信はありません。
「受容しなければならない」と思っていませんから。
あなたは、クライエントに対して、「嫌いだ」という感情を持つことが保証されています。
看護学の中で、カウンセリングというと出てくるのは、マズローとロジャースです。
そのロジャースは、「カウンセラーの仕事はクライエントの環境となって、反応を返すこと」だと言います。
カウンセラーが「環境」となるための条件の一つが自己同一性(アイデンティティ)の確立です。
「もしクライエントを好きになれなければ、それを表現すること」が求められています。
あなたが自分の感情を押し殺したら、クライエントも感情を表現しなくなります。適切な感情表現が必要です。
過度な感情表現はいけません。
過度な感情表現とは、「んもぅ、この前も同じことをしたのに、また間違えている」と過去のことに反応したり、「ああ、こと人はきっと死ぬまで変わらないわ」と、未来のことを想像して反応することです。
クライエントを不幸だと思ってはいけません。
「だって、ストーマがついていて、うまくできなければ、かわいそうでしょ!」と言う人がいます。
その人は、忘れているのです。
「明日は我が身」ということを。
目の前にいるのは、かわいそうな人ではありません。
あなた自身が明日から生きるかもしれないドラマを見せてくれている人です。
そのドラマにあなたも参加しているのです。
明日の主役はあなたかもしれません。
そう考えたら、主役をかわいそうと思わずに、脇役としての自分の役割をきっちり果たす気になるかもしれません。
今、起こっていることの「図と地」をひっくり返して考えることをパールズのゲシュタルト療法が説きます。
クライエントが「わたしは不幸だ」と言ったときに、その気になってはいけません。
予定手術で造設し、セルフケアできそうなストーマでありながら、「こんな体になってしまって・・・」と言う患者を苦しませているのは、ストーマではありません。
「他人と違うことは悪いこと」という偏見です。
本人が今まで持っていた偏見、先入観が自分を苦しめています。
「いつも思ったとおりのことができて当たり前」という狂気が苦しめています。
その狂気にたいして、まともに相手をするといっしょに狂気の渦に巻き込まれます。
もし、クライエントがストーマに対して不満を持っているなら、クライエントは、ストーマを造設した医師に面談して説明を受けることができます。
それを選択せずに、医師以外に不平を漏らすことは、解決を伸ばしているだけです。
問題は、発生源で解決しなければなりません。
多くの場合、クライエントは交流分析で「ゲーム」と呼ばれる行動をとります。
相手を苦しめる駆け引きをするのです。
以下、講義へ続く