父の退院

 父は、術後36日目に退院しました。

 この手術を受けた患者さんとしては、とても速いと思います。

 そして、家に帰ると、早速、退院の挨拶状をプリントして郵送しました。

 そのために、入院中からコンピュータをいじっていたのです。

 私が父にノートパソコンを持って行ったのは、父の動きを誘い出すためでした。

 そして、父はその期待に応えてくれました。ありがたいことです。


 退院、3日目に遊びに行くと、父は

 「家が一番良い。

 好きなときに好きなことができる。


 
病院には自由がない。

 すぐに人が出入りする。

 いるところがない。

 と言いました。

 そのとうりです。

 父が言いました。


 おれは、ワイフに言ったんだ。

 おれは、今までの速さでは動けない。

 しかし、ゆっくり動けば、自分のやりたいことができる。

 だから、せかさないでくれ。


 頼むとな。


 父は厳しい人です。

 自分の今までの人生でも、自分に厳しく生きてきました。

 母にも、高い能力を求めました。

 しかし、私が見ている限り、母は父が求めるのとは違う高い能力を示しました。

 ことごとく、父の思ったとうりにはしないのです。

 そのたびに、父が文句を言い、こぼすのを聞いていましたから、父が母に「頼む」などということはないと思っていました。

 でも、父は「頼んだ」のです。


 父は、食事の仕方、失敗が学習であること、病院の中では患者は失敗を許されること、老人にとって足りないのは「力」ではなく、「時間」であることを学習しました。

 自分の現在の環境に順応するという「発達」をしました。

 さらに、驚くべきことは、自らの「内側」の修正だけではなく、母に「頼む」ということで、環境つまり自らの「外側」の修正までも学習したことです。


「まとめ」

 老人は、能力がないのではなく、若いときとは異なる種類の能力が必要なのです。

 必要なのは、「低下する身体能力に合うように時間を使うコントロール能力」です。

 もし、多くの人が、そのように理解したなら、老人の学習環境は改善し、老人も、見守る人も、これから老人になるあなたも、もっと楽に生きられるようになるでしょう。

老人論・介助論へ

ここもお勧めです->サイバネティクスへ